煙がたちのぼる

 

煙がたちのぼる

 

鑑賞者

 

場所

東北自動車道下り

 

盛岡を目指して北上しているときだった。

冬も間近に迫り、時刻でいえば十五時は過ぎていて、

陽は西から挿していた。

 

 

一、

 

宮城県から岩手県へ、県境をこえる。

半刻ほど車を走らせるあいだにさまざまなことを考える。

・インターをおりたらコンビニに寄らなくては

・着いたら祖母に電話をしなくては

・あの常緑樹が何であったか調べなくては(車に置いていたはずの樹木図鑑がないではないか)

 

ぴぴぴとホンダのフリードがしゃべる。警告音。

「ハンドルを握ってください」

片手運転を咎められ、

失礼しましたと返事をした。

 

花巻を過ぎれば気持ちはもう盛岡に着いている。

高速道路はどこまでも続く。

私はまたもわき見をする。

右も左も田んぼ、田んぼ、田んぼ。

広々とした枯草色の真四角が連なる。

稲刈りはとっくに終わり、ホンニョはもはや残っていない。

 

右手の向かう先、田んぼの真中で

煙が一筋、空へとたちのぼる。

 

二、

 

煙がたちのぼる。

少年の亡骸を焼いている。

まだ十四、五才の少年だった。

いや違う、少年のからだを包んだ布裂を焼いているのか。

 

 

彼が病で死んだとき、

彼の母や父、妹は少しだけ涙を流した。

数日前からもう、彼は死んでしまうとわかっていた。

だから生前のうちから、彼の死を嘆くより先に

次の世での彼の幸福を願うことにしたのだ。

 

彼の瞳から光が消える。

母の手によって彼の瞼が閉ざされる。

この世に別れて

彼は旅に出る。

 

彼のからだは黒い布に包まれる。

必ず土に還る布。樹皮で織られていて、泥で染められている。

この村の人々によって、いつか来るだれかの死者のために

いつでもこさえてある布だ。

布の中で少年のからだは早くも軽い。

家族は家から出ない。

代わりに、親族の男二人が

彼のからだを抱えあげる。

少年は荒野に運ばれた。

 

男二人は土埃のたつ乾燥した地面に

少年を仰向けにして寝せてやる。

背の低い草がわずかに生えている場所を選んだのは、

男たちの優しさだった。

少しだけでもやわらかな。

 

布を広げ、少年のか細いからだが現れる。

くぼんだ頬、枝のような腕、足の爪は早くも化石のよう。

手を合わせ、短い祈りの言葉を口にしてから

男たちは立ち去った。

 

空には大きな鳥が飛んでいる。

 

 

三、

 

鳥が飛んでいる。

あれはトンビ。

トンビは目を鋭くして滑空する。

電線には数羽のカラス。

 

ああ、煙の風上に人影がある。

野焼きの主犯。

枯草色の真四角の田んぼ、

その一点が赤黒くある。

 

熱に驚く虫や小さな動物が

乾いた地面をあわてて駆ける。

空にはトンビ。

もぐれ、できるだけ早く土の中に。

駆けろ、できるだけ早く叢に。

一心に命を隠せ。

 

鳥の影が空を切り、黒く大きくなる。

ついに覆われたその下には。

 

四、

 

黒い影は大鷲。

少年の亡骸を真暗く覆い

静かに降り立つ。

 

大鷲たちが空の果てから飛んでくる。

少年をめがけて一羽、二羽、

またたく間に十数羽。

土が風におどっている。

 

やがてぶちぶちと音がする。

嘴、かぎ爪。

大鷲は祈りの言葉はこぼさない。

祈りの手も合わせない。

それなら既に先の男たちが済ませたから。

大鷲は寄ってたかって少年の躯で腹を満たす。

 

時々ばたつかせる羽根の隙間から

少年の姿は早くも見えない。

彼等の体躯の下の暗がりで。

 

男二人が来る。

大槌を掲げ、のしのしと来る。

大鷲たちは派手な羽音をたて飛びたち、

遠巻きに着地し

男二人を眺めている。

 

男たちは、少年だった骨を砕いている。

なるべく細かく。

なるべく大鷲そのほか大勢の腹に収まりやすいように。

 

パキン、カツン、ゴツリ。

パキン、カツン、ゴツリ。

 

下に敷かれた泥染めの布裂を引き抜く。

草の生えぬ地面の上に粗く小さくまとめると

香りのいい枝葉をひとつかみほどふりかけて、

マッチを擦り、火をつけた。

 

二人の背後

大鷲たちが少年の骨を食わんと再び群がる。群がっている。

 

煙がたちのぼる。

煙がたちのぼる。

ぽきぽきと骨をついばむ音がする。

 

布裂は焼かれ

男たちは火種を丁寧に踏み消して、

頭を下げて去って行った。

 

大鷲たちはまだそこにいる、

かつて少年だったものの上に。

ふと、その中の一羽が頭を上げてこちらを見た。

嘴の先に、何かをくわえて。

 

五、

 

そしてトンビは飛び去った。

嘴から垂れ下がる長い紐のようなもの、

あれはおそらくネズミの尻尾。

 

ぴぴぴ

「ハンドルを握ってください」

 

あれは、ここからどこか遠くの村の、同じ地平でなされた弔い。

鳥の腹に収まり、大地の糧になり、

それから数日ほど経つと人々は、

そこらの花々に話しかけるのだという。

元気でいるかと。

 

サイドミラーから見える。

煙がたちのぼる。

煙がたちのぼる。

田んぼに煙がたちのぼる。

 

煙がたちのぼる