コスモ

コスモ

 

そこで、私は思い出す。

盆前の夏の日、私は祖父母の家にいた。
太陽が空の頂点にのぼる。俯く私の首の後ろはじりじりと熱い。自然の私は赤黒くかさつくであろう肌を許すが、社会の私は白襟からのぞく野生の肌を想像し、人の目が気になり少し気が散る。サンダルも脱いでおこうか。

私は庇の下におり、頭上の軒下には燕の巣。雛はもはや雛ではなく、食事のために出かけているのか空っぽだった。
私は裸足で巣の下の地べたに座り、曾祖母ゆずりの錆びた刃で濡れたからむしの表皮を剥ぐ。直方体の当て木にからむしの皮をねかせ、刃をほぼ垂直にあてるといいと祖父から教わり力を込める。

私の傍らには未だ一抱えのからむし。私は一心にこの植物と付き合っている。例えば今日は刃を用いて。生活になじむ幾本もの紐をこの植物から取り出すのだ。

しぃく、しぃく、しぃく。
刃が擦れる音がする。

無心。

ふと、私の肌のどこかがこそばゆくなる。我にかえって自分のからだを眺め直すと私の裸足を黒々とした小さな蟻が歩いていた。燕の糞を己の巣穴に運んでいる。

ままに歩けよ。お前にとっては私の裸足も単なる地面の凹凸に過ぎぬ。私は次のからむしに手をかける。

しぃく、しぃく、しぃく。
私は続けた。蟻も続けた。燕が遠くで鳴いていた。

しばし私は、私を忘れた。
コスモの中の至福に満つる私と思える背中が見えた。誰のまなざしを借りたのか、それはわからぬが。

九月一日

戻ってきたのか、と燕の無事を見上げたときに私は人間に戻った気がする。