うみやまのあいだのひとしずく②

この物語の主人公、ひとしずくの話に戻りましょう。このひとしずくも、七色の陽光と何千種もの新緑色と潤んだ湿気がおどり戯れる美しい時間のさなかに生まれたこでした。

早春のある朝。遠く、山の彼方に太陽がのぼり始めます。藍色の森にさっと一刷け曙色が射しこんで、鈍色の朝霧の隙間を縫うようにして、うす紫色がたなびく美しい朝でした。その陽光のひとすじは、森の奥深くまで届く頃には、その冷ややかで澄んだ空気にふれ、やわらかな銀色の光に変わっていました。ここらの生物たちに、春の訪れを告げるには大変好ましい、聡明で優しい朝の光でした。

いつもだったらまだまだ薄暗い肌寒さが続くはずなのに、今日の冬はもうぽかぽかと暖かいと雪かぶりのクマザサが感じていた頃、その葉にふりつもった雪の中に、ひとしずくはいました。といっても彼はまだ、本当の意味ではひとしずくではありませんでした。長い冬の間にすっかり押しつぶされてしまった雪の結晶たち、まだ真っ白い六花たちのなかにひとり、アリの頭よりも小さな口をめいっぱいあけてあくびをしたこがいるでしょう。このこが、私たちのひとしずくであります。

ひとしずくもクマザサもまだ半分、夢の中にいましたが、クマザサの方が一刻早くあたまの中が冴えてきたようです。それでクマザサは、またこう思いました。

「やっぱりだ。今日の冬はあたたかい。」

それもそのはずでした。長年の間クマザサに影を落としていた桐の樹が、枝先の雪の重みで冬の間にすっかり傾いていたのです。幸い、根全体でしっかと土をつかんでいたので倒木とまではいきませんでしたが、それでもこのあたりの森の景色はすっかり変わったように見えました。

いつもよりはやい早春の光に照らされながら、それでもクマザサはまだ眠気まなこでしばらくうとうとしていました。けれども、朝日が山間からのぼりきり、その眩しさによって冬の眠りの深さが遠のいてゆくにつれ、自分の枝葉、さらには茎さえ次第に熱を帯びはじめたところで、もうすっかり目が覚めてしまったのでした。すると、冬の間ずっとうなだれていた自分のからだをぴんと起こしたい気になって、自慢の葉っぱに重くのしかかる真っ白な雪をはらってしまいたい、でなければ自分の体温で溶かしきってさっぱり流してしまいたいと思いました。すっくと背筋をのばしきるにはまだ力が足りませんでしたが、先の秋の余力を使って少しだけ頭をもたげると、勢いがついて生来の自信が蘇り、根の先からごくごくと地中の水分を汲み上げて、乾ききったからだを潤しました。

 

 

つづく。