うみやまのあいだのひとしずく⑧

実をいえば、ひとしずくが生まれてからこれまでの出来事というのは、人間にとって、秒針が数回まわった程度の時間でしかありませんでした。この森にとっては、静謐極まるほんの瞬き程度の時間であります。背の高い樹の頂きに引っかかっていた山鳩の羽根が、何度もそよかぜに吹きあげられ寄り道をしながら、地上に舞い落ちるまでのあいだ。これと同じか、少し短いくらいの出来事でありました。時間の尺度というのはだれにでも公平ではないのです。

ひとしずくはどこへ行ったのでしょう。聞くまでもなく、ひとしずくはまだクマザサの葉におりました。風に煽られ、このままでは葉から滑り落ちてしまうという寸前、つるつるとした葉の表面にただいるだけではもう保ちきれないとみるや、クマザサの葉の繊細な表層を彼なりに幾重にもかき分け葉緑の粒さえ押しのけて、縦筋に節くれだった一本の葉脈にしがみついているというありさまでした。それでも少しずつ少しずつ、見えない強大な重力がひとしずくの小さなからだを地面の方へと引っぱります。ひとしずくは尚も抵抗しながら、からがら葉脈を必死につかんでいましたが、とはいえ、ツツツとすべり落ちることはできても、上へのぼることなどできません。ついには葉の縁にぶらさがるような恰好になって、ぎりぎりのところであわやこらえているのでした。

そうしてどれくらいのときが過ぎたでしょう。ひとしずくはあいわらず葉の縁にたれ下がり、辛抱強く耐え忍んでいました。けれども、もう見るからに、ぐったりと疲れ果てていました。葉にしがみつき続けるのは、もはや限界でした。ひとしずくが己を引き上げるささやかな微力と、地底に引きずりこむような畏れたかい重力との勝負は、とっくに決着がついていました。風でも吹けば、あとはあっけないものでしょう。

「それじゃ、サヨナラ。また今度!」

何も知らないふりをして、ただ笑顔で地に落ちてゆけたらどれほど気が楽であったろうとひとしずくは思いました。が、芽生えてしまった疑問はもう拭いきることなどできません。ただ、ひとしずくは自分を強いて半ば悟りつつありました。「サヨナラ」の答えも、「また今度」の答えも未だ闇の中にあり、謎は深まるばかりでしたが、その問いを己に生かす術など今のひとしずくは知りません。

「そのときぼくは、どうするのかな。」

兄弟たちは、だれもが朗らかに笑いながらそのときを迎えていました。けれどもそのときのぼくは、思わず「あっ」とこぼすだろうな、とひとしずくは思いました。こぼれたことばは、あぶくにさえもならないでしょう。土までどれほどの距離があるのかも想像してみました。けれど、その距離を把握したところであまり意味はないのです。なぜなら、葉から離れた瞬間ひとしずくの意識は遠のいてしまって、もがく間もなく、「それじゃ、サヨナラ」をしているのかもしれませんし、途中、何かにぶつかることがあったとしても、そのときの痛みはすでに、ひとしずくではないのかもしれないのですから。

それからの時間は、ひたすらむなしいものでした。それは、一本の線を目的もなく、虚空に描き続けるようなもので、なにか得体の知れないものがその線を絶つそのときまで、無力に時間を費やすことに似ていました。ひとしずくの残りわずかな余力、その目盛りがあとどれほどかということでさえ、その得体の知れぬ何かが握っているのです。

ひとしずくは、たまらなくなっていました。一秒先の自分の所在は自分のものではない、その不条理さに打ちひしがれていました。あともう一度、クマザサが背伸びをしたら。あともう一度、風が吹いたら。あともう一度、予想もしない何かが起きたら。そうしたら、自分にはもう、葉から落ちて消えて無くなる、この一択しかないのだ。そうであるなら、今こうして葉にしがみつき続ける意志も意地も、その行為も、何もかもが無意味なのかもしれない、そう思うと、とてもやりきれないのでした。何より、仮にそれらの意志などが無意味であったとして、生まれてからこれまでのあいだ、自分の中にわき上がり堆積された感情、― 嬉しさや楽しさ、心地よさ、不安、虚しさ、悔しささえもが無とされてしまうことへのつらさがありました。それらの感情を無であると自ら否定することは難しく、拭い去ることができないからこそ、ひとしずくはひとしずくであるのですから。

永遠がひきのばされたように、とてつもなく長い時間でした。いつしかひとしずくは、また目をつぶっていました。

(これから自分に起こることが一刻も早く過ぎますように。)

と、ひとしずくはただただ強く願っていました。あと一寸で地に落ちてなくなってしまう、それならば早く、早く。一心に念じる自分の声で、恐れている感情が覆い隠せているあいだに早く、早く。ひとしずくは、ひたすらぎゅっと、まぶたの裏の暗闇で自分のからだが見えなくなるくらい、ぎゅっと目をつぶるのでした。