久方ぶりに母親と食事。
といっても、コーヒー一杯と店主がすすめてきたキャロットケーキを食べる程度の軽食だが。
簡単な近況報告。
父のこと、祖父のこと、私のこと、弟のこと、もう一人の弟の家族のこと、母のこと。
母が話せば私がしゃべる。その繰り返し。
そうして話題をそらしてのらりくらりと時間は過ぎたが、
コーヒーを飲みきる頃にはもはやネタも尽きてくる。
そうすると気になるのはやはり、今後の私のことらしい。
「もういい年齢なのだから、所帯をもったら」
「これからどうするの」
と母。
「やりたいことがある」
とだけ答えた。
そう、私にはやりたいことがあるし、事実進んでいると思う。
他者の目にはわかりづらいが、ようやく掴みかけている手ごたえがある。
言葉の羅列を上ったり下りたりする仕事。
「何してるの?」と母。
「ちゃんと決まっている」と私。
「じゃあ、言ってよ」
ところが、私はそれを言わない。
他者に話すことに抵抗がある。
たとえ母親であっても何だか言いたくはないのである。
「…いや、言わない」
「なんで?言えないの」
断っておくが、母と私は仲がいい。
こういう会話であっても、母は笑みを絶やさないし、
答えることを強要せず私に逃げ場を残してくれている。少なくとも今は。
あとは母の情愛に私が答えるか、否か。
「言わない。答えない。自分の中にあるからいい」
「あなたの中じゃわからないじゃない」
「うん。言わない」
我ながら、どこまでも頑なであった。
母を信頼していないとかそういう小さな話ではない。
ただ、言葉というものの性質を私はよくわかっている。
自分の口から外に放たれたその瞬間から、
善か悪か、正か誤か、二項対立のようにして必ず判断される言葉の性質、
その運命を私は信じちゃいない。
そういうわけで、私は不二を選んだわけだが、
見る人が見れば、
私はやりたいことを人前で宣言できぬ木偶の坊になるのだろう。
だが私は、現存の価値世界の中で
私の決意、その言葉を晒したくないだけである。
私は強かな木偶の坊。