うみやまのあいだ、
あめつちのからだ

“正しく清くはたらく人は、ひとつの確かな芸術を時間の後ろにつくるのです”

宮沢賢治

BLOG

category

category

4本脚のあいだで

午睡。 2頭の4本脚のあいだで眠るとき 私は自分も4本脚の動物になったような気がする。 穂の名と、風の名をもつアウラのあいだで。床がひんやりとしていて気持ちがいい。   移り住みたいところがある。鹿の原。 耕作

Read More »

家族写真

今年はユリノキの花を見るのがかなわぬらしい。 ユリノキの大樹を伐るのは、諸事情によって5月のはじめとなった。 帰宅時の道すがら、歩を進めるごとに近づくユリノキの葉を見上げながら帰るのが好きだが それが叶うのも初夏までだ。

Read More »

したため(読書について)

読書が好きだ。偏らず、包括的に、人間のこころを知ることができるから。 それもなるべく普遍的な形で。 もしかしたら、知ることができるような気になってるだけかもしれないが、それでも。   国内・外と区切らず、人間と

Read More »

イワウチワを植える

夕方から本格的な雨になるというので、植えるのなら今日中にしようと思った。   4月の初めに植物屋から連れて帰ったイワウチワは あれから3週間も経つというのにまだわが庭の土壌に降り立っておらず、 仮初の販売用カッ

Read More »

ニホンサクラソウ、またはシラー・シベリカ

皐月の頃が近づくと当たり前に愛でていたのは、わが野生の庭のニホンサクラソウ。 実は絶滅危惧種の一つであることを昨年知り(とある自然観察会の参加者の一人に念を押された)、 自然のままをモットーにしているわが野生の庭で唯一保

Read More »

キジバト

私の野生の庭には、キジバトのつがいが暮らしている。 ヒヨドリやオナガのようにけたたましくなく、 人間の語り口のような落ち着いた鳴き声をかわし合う。 家の壁一枚を隔てながら、隣人として申し分ない。 ひっそりと静かで、何とな

Read More »

山茱萸

4月の半ばなれど夏日という過ぎた陽気に祖母を連れ出し花見をする。 私と穂の名との秘密の穴場。 けれども当てがはずれて池の端の枝垂れ桜がつつましく咲くばかりで その他の桜はまだ蕾であった。 散歩道から少しそれたところに、そ

Read More »

イワウチワ

先週、春から電話がきた。 「イワウチワ、入りました。受け取りに来られますか?」   一年前のちょうど時期が過ぎたあたりに植栽屋に頼んでいたのだった。 「行きます。行きます」   季節がめぐり、二つ返事

Read More »

「変わらなくてもいい生活」。

衣食住の多くを、山川海、水と土と植物から得てきた私の祖先の生活は

人の世がどう変わろうと、ゆらぐことなく脈々とつづく。

 

生活の「せ」の字もまともにしてこなかった人間だが、3.11とコロナ禍を経て

私も祖父母や先代のように「変わらなくてもいい生活」を送りたいと思った。

 

あらゆる共同体、あらゆる社会が私を何者と規定しようが執着はない。ただ、

自分のからだをどこに置くか、その世界(観)や生き方だけは私が決めたい。

 

人々の間から、うみやまのあいだのからだのわたしへ。

遅々として進まぬ速度も私らしくていいのだろう。

思いつくまま記録する。

SnapCrab_NoName_2019-1-17_11-20-9_No-00
V11_ポートレート0

MESSAGE

 はじめまして。ウェブサイトをご覧いただき、どうもありがとうございます。

 「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」代表の二宮彩乃と申します。

 平成が終わり、令和という新たな時代が始まりました。昭和・平成という変化に富んだ激動の時代を経て、令和という時代がどのような軌跡をたどるのか。この答えをすべて的確に言い当てることができる予言者は地球上どこにもいないでしょうが、それぞれの視点から「こういう時代になっていったらいいな」という動きは大小問わずあちこちで始まっているように思います。そういった〈ねがいの形〉の積み重ねによって私たちの世界はこれまで創られてきたのだろうと想像すると、〈ねがい〉という行為やその言葉は、現実にしっかと根ざしたとてつもなく大きな力のように感じられます。

 さて。では、「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」のねがいの形は、どのような実を結んでいくのでしょうか。

 先日読んだ本では、これからは「確かなものの時代」から「形のない時代」への転換期になるとともに、これまでの「協調性や秩序を守ることの大切さを説く時代」から「今までの価値観を完全に捨てて、個人が自由な発想をすることが重要になる時代」になると書かれており、始動2年目の「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」にとっては、願ったり叶ったりの時代の訪れだと思われ、吉兆の知らせのようでした。

 「形のない時代」とは何でしょうか。

 物質に依らないということでしょうか。それに代わる“何か”重要なこと・ものが顕れるのでしょうか。

 「今までの価値観を完全に捨てて、個人が自由な発想をすることが重要になる時代」とは何でしょうか。

 どういった機会があれば、近い将来そこへと至ることができるのでしょうか。

  “ 「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」は、HUMAN ENGAGEDをコンセプトとした〈ことば〉と〈こと・ば〉のコンテンツをつくります。”

  “こと・ばのコンテンツ ―― つまり、アクティブラーニング/ワークショップ/ドラマラーニングといったコンテンツをつくります”

 これは私たちの理念であり、存在を意義づける根幹のことばですが、私たちは、私たちの武器である〈こと・ばのコンテンツ〉の中にこそ、「形のない時代」「個人が自由な発想をすることが重要になる時代」の光を見出しています。

 とはいえ〈こと・ばのコンテンツ〉やその類はまだまだ認知度が低いですし、さらに言えば、ご依頼によってさまざまな形で応えていくので、一見すると内容が一貫しておらず、よく言えば多様な、斜に構えれば煩雑に見えるため、いまいち掴みかねる印象をもたれている方も多いかもしれません。

 しかしながら、「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」が見つめているものはいたってシンプルです。

 「人が集まる」ということ、その現象そのものがもつ大いなる可能性を信じている。その一言に尽きます。だからこそ、その潜在的能力を最大限に生かしたい。そのための最良の選択をいつでも用意しておきたい。この想いを実現するためのスキルが、私たちにとってはワークショップや体験型プロジェクトのコンテンツづくりであったのです。

 SNSやインターネット、AIの進歩によって、人の身体を介在させずともあらゆることが実行可能になった現代において、“集まり”に光を見出すとは時代錯誤なことを…というご意見もあるかもしれません。

 ですが、「みんなで考える術」「みんなで決定する術」「みんなでつくる術」「みんなで発展させる術」といった行為が今すぐ必要でなくなるとは思えないですし、さらに言えば、よりいっそう価値観が多様化している現代において、「みんな」とひとまとめにされる人々が一概だとは限りません。だからこそ、今なおたゆまぬ努力として、これらの“術”を育て、磨き上げることも決してないがしろにはできないと思うのです。意思決定の歴史はまだまだ連綿と続いているのはないでしょうか。

 「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」は、今後もこのような覚悟を胸に秘め、いただいた機会をひとつひとつ丁寧に、たくさんの想いや意見に耳を傾けながら皆さまのお役に立つべく、さらに邁進して参ります。

集まりis USEFUL FOR OUR SOCIETY,SO WHAT DO WE DO ?

今年もよろしくお願い申し上げます。

2019年1月10日
二宮彩乃

追記)

代表二宮のブログ(https://note.com/ardr_ccd/n/n7c6dce09c2a4)に、下記の内容が追加されました。

・なぜ、「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」を始めたのか
・なぜ今、これらが必要なのか
・数年先、どのようなビジョンをもっているのか

「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」についてさらに補完する内容となっております。
よろしければ、ぜひご覧くださいませ。