うみやまのあいだ、
あめつちのからだ
“正しく清くはたらく人は、ひとつの確かな芸術を時間の後ろにつくるのです”
宮沢賢治

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時間
仕事部屋の壁かけ時計は長らく止まったままだった。 今時ではスマホ画面の時計表示を見ればよいのだし、 そのままでも別段困ることはなかったからだ。 が、先日部屋を掃除していたらたまたま所定の電池を見つけたので
地区Mのこと(2015)
※この作品は2015年に上演した『地区Kのこと』から抜粋したモノローグはそのままに、 より読みやすくするためにweb用に設定を少し変えたものです。 明記しているト書き以外はすべて俳優の裁量に一任しています。
タイトルは『ひとしずく』
メールが届いていたのは昨年のちょうど今頃のこと。 コロナ流行前に出版していた『ひとひと』からご縁がつながった。 思えば稀有でありがたいことだ。 自分の原稿の一字一字に選択と愛着がある。とても充実した時間。

鳥が空をわたる速度
11月も末日だ。 まもなく白鳥がカアウ…カァウ…と声を立てながらやって来る。でかい翼で冬空をふるわせて。 あれもうあそこで見かけたよと既にちらほらと聞こえてくるが。 橙が新しいご家族のもとに迎えられてから2ヶ月が経とうと

橙(だいだい)という名
犬には「橙(だいだい)」と名をつけた。 白い犬なのに、橙(だいだい)。それで、短く「だい」とか「だいちゃん」と呼んだりする。愛称も含めてなかなかいい名前ではなかろうか。 だいだいがわが家に来てからまもなく2

戦争
葉の名のことでてんやわんやしている間に、遠くウクライナで戦争が始まってしまった。 週末朝の報道番組でこれまでの経過をおう。 どこへ逃げるのだろう、泣きじゃくる老齢の女性の映像が心に残る。手をひいているのは孫だろうか。 自
社会的動物
犬は「社会的動物」だとよく言われる。 人間の社会や人々の生活に寄り添い、溶けこむようにして生きることができる数少ない動物のひとつとして。 そうだろうか、と私は思う。 紅茶をそそいだ大きなマグカップを手にしな
「変わらなくてもいい生活」。
衣食住の多くを、山川海、水と土と植物から得てきた私の祖先の生活は
人の世がどう変わろうと、ゆらぐことなく脈々とつづく。
生活の「せ」の字もまともにしてこなかった人間だが、3.11とコロナ禍を経て
私も祖父母や先代のように「変わらなくてもいい生活」を送りたいと思った。
あらゆる共同体、あらゆる社会が私を何者と規定しようが執着はない。ただ、
自分のからだをどこに置くか、その世界(観)や生き方だけは私が決めたい。
人々の間から、うみやまのあいだのからだのわたしへ。
遅々として進まぬ速度も私らしくていいのだろう。
思いつくまま記録する。


MESSAGE
はじめまして。ウェブサイトをご覧いただき、どうもありがとうございます。
「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」代表の二宮彩乃と申します。
平成が終わり、令和という新たな時代が始まりました。昭和・平成という変化に富んだ激動の時代を経て、令和という時代がどのような軌跡をたどるのか。この答えをすべて的確に言い当てることができる予言者は地球上どこにもいないでしょうが、それぞれの視点から「こういう時代になっていったらいいな」という動きは大小問わずあちこちで始まっているように思います。そういった〈ねがいの形〉の積み重ねによって私たちの世界はこれまで創られてきたのだろうと想像すると、〈ねがい〉という行為やその言葉は、現実にしっかと根ざしたとてつもなく大きな力のように感じられます。
さて。では、「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」のねがいの形は、どのような実を結んでいくのでしょうか。
先日読んだ本では、これからは「確かなものの時代」から「形のない時代」への転換期になるとともに、これまでの「協調性や秩序を守ることの大切さを説く時代」から「今までの価値観を完全に捨てて、個人が自由な発想をすることが重要になる時代」になると書かれており、始動2年目の「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」にとっては、願ったり叶ったりの時代の訪れだと思われ、吉兆の知らせのようでした。
「形のない時代」とは何でしょうか。
物質に依らないということでしょうか。それに代わる“何か”重要なこと・ものが顕れるのでしょうか。
「今までの価値観を完全に捨てて、個人が自由な発想をすることが重要になる時代」とは何でしょうか。
どういった機会があれば、近い将来そこへと至ることができるのでしょうか。
“ 「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」は、HUMAN ENGAGEDをコンセプトとした〈ことば〉と〈こと・ば〉のコンテンツをつくります。”
“こと・ばのコンテンツ ―― つまり、アクティブラーニング/ワークショップ/ドラマラーニングといったコンテンツをつくります”
これは私たちの理念であり、存在を意義づける根幹のことばですが、私たちは、私たちの武器である〈こと・ばのコンテンツ〉の中にこそ、「形のない時代」「個人が自由な発想をすることが重要になる時代」の光を見出しています。
とはいえ〈こと・ばのコンテンツ〉やその類はまだまだ認知度が低いですし、さらに言えば、ご依頼によってさまざまな形で応えていくので、一見すると内容が一貫しておらず、よく言えば多様な、斜に構えれば煩雑に見えるため、いまいち掴みかねる印象をもたれている方も多いかもしれません。
しかしながら、「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」が見つめているものはいたってシンプルです。
「人が集まる」ということ、その現象そのものがもつ大いなる可能性を信じている。その一言に尽きます。だからこそ、その潜在的能力を最大限に生かしたい。そのための最良の選択をいつでも用意しておきたい。この想いを実現するためのスキルが、私たちにとってはワークショップや体験型プロジェクトのコンテンツづくりであったのです。
SNSやインターネット、AIの進歩によって、人の身体を介在させずともあらゆることが実行可能になった現代において、“集まり”に光を見出すとは時代錯誤なことを…というご意見もあるかもしれません。
ですが、「みんなで考える術」「みんなで決定する術」「みんなでつくる術」「みんなで発展させる術」といった行為が今すぐ必要でなくなるとは思えないですし、さらに言えば、よりいっそう価値観が多様化している現代において、「みんな」とひとまとめにされる人々が一概だとは限りません。だからこそ、今なおたゆまぬ努力として、これらの“術”を育て、磨き上げることも決してないがしろにはできないと思うのです。意思決定の歴史はまだまだ連綿と続いているのはないでしょうか。
「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」は、今後もこのような覚悟を胸に秘め、いただいた機会をひとつひとつ丁寧に、たくさんの想いや意見に耳を傾けながら皆さまのお役に立つべく、さらに邁進して参ります。
集まりis USEFUL FOR OUR SOCIETY,SO WHAT DO WE DO ?
今年もよろしくお願い申し上げます。
2019年1月10日
二宮彩乃
追記)
代表二宮のブログ(https://note.com/ardr_ccd/n/n7c6dce09c2a4)に、下記の内容が追加されました。
・なぜ、「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」を始めたのか
・なぜ今、これらが必要なのか
・数年先、どのようなビジョンをもっているのか
「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」についてさらに補完する内容となっております。
よろしければ、ぜひご覧くださいませ。