うみやまのあいだ、
あめつちのからだ

“正しく清くはたらく人は、ひとつの確かな芸術を時間の後ろにつくるのです”

宮沢賢治

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七十九年

母方の祖父母の家にて、仏壇に手を合わせる。 仏壇が設えてある和室の長押には3つの遺影がかかっている。 若い男性が一人、初老の男性が一人、そして最後に私の曾祖母のマサエさん。   今まで気にしたことがなかったが、

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ひまわり

私の野生の庭に、ひまわりが花を咲かせた。 伐られたユリノキの根元に一輪と、世帯主不明の土だけ入った植木鉢に一輪。 つぼみをつけるまでは、「あの茎や葉はひまわりだ」と言われても半信半疑だったが 太陽の権化みたいな黄色の花び

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見立て

木材を扱う事業を手がける友人から、突然この写真が送られてきた。 「これ、なーんだ?」   私は、ホラー映画のピエロみたいだ、と返事をした。 がーん、ショック、泣き顔、びっくりの絵文字が返ってくる。 「穂の名なの

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記憶の底から呼び起こされて、今の今まで忘れていた景色。 小・中学校9年間の登校時、 毎朝必ず見る景色があった。 学校に向かう途中、決まった場所のだいたい決まった時間に空を見上げると 鳩の群れがばたばたばたと建物上の小屋か

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先日、亡くなった祖父が初めて夢に出てきた。 7月21日の、二度寝をしていた朝の夢。   今ではもう取り壊してしまった祖父母の家の玄関から 白衣を着た姿で出てきて生前の穏やかな調子で「よっ」と声をかけられた。義足

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西洋ミツバチ

養蜂を営むHさんの話を面白く聞く。 とどのつまり、西洋ミツバチも家畜化された生物なのだ。 私たち人間がより扱いやすいよう手をかけ、と同時に西洋ミツバチ自身も私たちに利用されやすく 進化してきたのだということ。 一方、人間

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さけび

ぎぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ、ぎぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ ぎぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ、ぎぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ 、というセミの声で目が覚めた気がする。 体を起こしてすぐに2階から窓の外を見たときに 野生の庭に住まうヒヨド

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石信仰

行動分析学では、 行動が増えることを「強化」と言い、行動が減ることを「弱化」と言う。 わかりやすい方程式のように述べれば、 ある行動をした後に良いことがあればその行動は強化されるし、 ―例えば、いつでも美味しい蕎麦が食べ

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「変わらなくてもいい生活」。

衣食住の多くを、山川海、水と土と植物から得てきた私の祖先の生活は

人の世がどう変わろうと、ゆらぐことなく脈々とつづく。

 

生活の「せ」の字もまともにしてこなかった人間だが、3.11とコロナ禍を経て

私も祖父母や先代のように「変わらなくてもいい生活」を送りたいと思った。

 

あらゆる共同体、あらゆる社会が私を何者と規定しようが執着はない。ただ、

自分のからだをどこに置くか、その世界(観)や生き方だけは私が決めたい。

 

人々の間から、うみやまのあいだのからだのわたしへ。

遅々として進まぬ速度も私らしくていいのだろう。

思いつくまま記録する。

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MESSAGE

 はじめまして。ウェブサイトをご覧いただき、どうもありがとうございます。

 「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」代表の二宮彩乃と申します。

 平成が終わり、令和という新たな時代が始まりました。昭和・平成という変化に富んだ激動の時代を経て、令和という時代がどのような軌跡をたどるのか。この答えをすべて的確に言い当てることができる予言者は地球上どこにもいないでしょうが、それぞれの視点から「こういう時代になっていったらいいな」という動きは大小問わずあちこちで始まっているように思います。そういった〈ねがいの形〉の積み重ねによって私たちの世界はこれまで創られてきたのだろうと想像すると、〈ねがい〉という行為やその言葉は、現実にしっかと根ざしたとてつもなく大きな力のように感じられます。

 さて。では、「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」のねがいの形は、どのような実を結んでいくのでしょうか。

 先日読んだ本では、これからは「確かなものの時代」から「形のない時代」への転換期になるとともに、これまでの「協調性や秩序を守ることの大切さを説く時代」から「今までの価値観を完全に捨てて、個人が自由な発想をすることが重要になる時代」になると書かれており、始動2年目の「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」にとっては、願ったり叶ったりの時代の訪れだと思われ、吉兆の知らせのようでした。

 「形のない時代」とは何でしょうか。

 物質に依らないということでしょうか。それに代わる“何か”重要なこと・ものが顕れるのでしょうか。

 「今までの価値観を完全に捨てて、個人が自由な発想をすることが重要になる時代」とは何でしょうか。

 どういった機会があれば、近い将来そこへと至ることができるのでしょうか。

  “ 「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」は、HUMAN ENGAGEDをコンセプトとした〈ことば〉と〈こと・ば〉のコンテンツをつくります。”

  “こと・ばのコンテンツ ―― つまり、アクティブラーニング/ワークショップ/ドラマラーニングといったコンテンツをつくります”

 これは私たちの理念であり、存在を意義づける根幹のことばですが、私たちは、私たちの武器である〈こと・ばのコンテンツ〉の中にこそ、「形のない時代」「個人が自由な発想をすることが重要になる時代」の光を見出しています。

 とはいえ〈こと・ばのコンテンツ〉やその類はまだまだ認知度が低いですし、さらに言えば、ご依頼によってさまざまな形で応えていくので、一見すると内容が一貫しておらず、よく言えば多様な、斜に構えれば煩雑に見えるため、いまいち掴みかねる印象をもたれている方も多いかもしれません。

 しかしながら、「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」が見つめているものはいたってシンプルです。

 「人が集まる」ということ、その現象そのものがもつ大いなる可能性を信じている。その一言に尽きます。だからこそ、その潜在的能力を最大限に生かしたい。そのための最良の選択をいつでも用意しておきたい。この想いを実現するためのスキルが、私たちにとってはワークショップや体験型プロジェクトのコンテンツづくりであったのです。

 SNSやインターネット、AIの進歩によって、人の身体を介在させずともあらゆることが実行可能になった現代において、“集まり”に光を見出すとは時代錯誤なことを…というご意見もあるかもしれません。

 ですが、「みんなで考える術」「みんなで決定する術」「みんなでつくる術」「みんなで発展させる術」といった行為が今すぐ必要でなくなるとは思えないですし、さらに言えば、よりいっそう価値観が多様化している現代において、「みんな」とひとまとめにされる人々が一概だとは限りません。だからこそ、今なおたゆまぬ努力として、これらの“術”を育て、磨き上げることも決してないがしろにはできないと思うのです。意思決定の歴史はまだまだ連綿と続いているのはないでしょうか。

 「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」は、今後もこのような覚悟を胸に秘め、いただいた機会をひとつひとつ丁寧に、たくさんの想いや意見に耳を傾けながら皆さまのお役に立つべく、さらに邁進して参ります。

集まりis USEFUL FOR OUR SOCIETY,SO WHAT DO WE DO ?

今年もよろしくお願い申し上げます。

2019年1月10日
二宮彩乃

追記)

代表二宮のブログ(https://note.com/ardr_ccd/n/n7c6dce09c2a4)に、下記の内容が追加されました。

・なぜ、「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」を始めたのか
・なぜ今、これらが必要なのか
・数年先、どのようなビジョンをもっているのか

「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」についてさらに補完する内容となっております。
よろしければ、ぜひご覧くださいませ。