うみやまのあいだ、
あめつちのからだ
“正しく清くはたらく人は、ひとつの確かな芸術を時間の後ろにつくるのです”
宮沢賢治
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歯みがき粉
さて、そろそろ寝るかと鏡の前に立って歯ブラシを持つ。 それから歯みがき粉。 のはずが、なぜかどこにもない。洗面所の床にもシンクの下にも見当たらない。 ないものはない。深夜も過ぎていて探し物の気力はない。 どうせ翌朝思いが
ハンティング
先日、トチノキの並木道を穂の名と歩いていたら、 ど派手な羽音が聞こえてきた。 バサッバサッくらいであれば聞き慣れぬ音でもないので、どうせ鳩か何かだろうと気に留めることもなかったが、 羽根が風を割くときのびゅうびゅううなる
ゆくときのながれはたえずして
雷雨から一夜あけて、清澄。 穂の名を連れ出し、朝さんぽ。 雨上がりの清々しさ。喧噪が目を覚ます前の静けさ。朝の光。 水たまりの中に、カバーにきっちり収まったままの折りたたみ傘が落ちていて、 傘の持ち主のゆうべが心配になる
計量器
アンドリュー・ワイエス展を観に行った。 以前開催されたBunkamuraザ・ミュージアムでの大規模展は2008年。 十八年も経っていることにいろいろとショックが大きい。 前回は、アンドリュー・ワイエス作品の制作時期・シリ
梅雨入りや
梅雨入りや 荷一つ軽き入所の母 尊敬する祖母が、2ヶ月半の入院を経て そのまま施設に入所してしまった。 数年前に腰を骨折し、昨年夏には熱中症となってからこっち ぱたぱたぱたと体調をくずし小康に
葉桜ステップ
今年の花見の名残惜しさに、 葉桜だって別に構わないやという気持ちでいちほと河原をのぼる新緑のコースへ。 (いちほも私もこの散歩道がとても好き) 忙しさからすっかり花盛りを見逃してしまったとだいぶ悔やんでいたけれど、 時期
桜
春というだけで幸せな日々だ そんな日々に、あれと声を出した午後だった ひょういと縁側から見上げたわが家の二本の桜の木。 東の桜と西の桜。 どうも種類が違うのではないか?花の付き方だの花の色だの。  
春の季語
「土くさい犬」を春の季語にしよう。 雪が日に日に解けて消え去り、からだ中に土のにおいをまとわせて私に駆け寄るこの子は穂の名。 「ぬくい尨毛」も春の季語にしよう。 陽光が日に日に温度を取り戻し、穂の名のからだにうつり住むと
戦争と犬
戦争をしている。ウクライナとロシア。 そして、先日2月28日からは、アメリカとイラン。 戦争は、学校の教科書で習うものであると思い込んでいたありがたき平和ボケの人間であったので (先代の努力によって、平和を享受できた年代
「変わらなくてもいい生活」。
衣食住の多くを、山川海、水と土と植物から得てきた私の祖先の生活は
人の世がどう変わろうと、ゆらぐことなく脈々とつづく。
生活の「せ」の字もまともにしてこなかった人間だが、3.11とコロナ禍を経て
私も祖父母や先代のように「変わらなくてもいい生活」を送りたいと思った。
あらゆる共同体、あらゆる社会が私を何者と規定しようが執着はない。ただ、
自分のからだをどこに置くか、その世界(観)や生き方だけは私が決めたい。
人々の間から、うみやまのあいだのからだのわたしへ。
遅々として進まぬ速度も私らしくていいのだろう。
思いつくまま記録する。
MESSAGE
はじめまして。ウェブサイトをご覧いただき、どうもありがとうございます。
「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」代表の二宮彩乃と申します。
平成が終わり、令和という新たな時代が始まりました。昭和・平成という変化に富んだ激動の時代を経て、令和という時代がどのような軌跡をたどるのか。この答えをすべて的確に言い当てることができる予言者は地球上どこにもいないでしょうが、それぞれの視点から「こういう時代になっていったらいいな」という動きは大小問わずあちこちで始まっているように思います。そういった〈ねがいの形〉の積み重ねによって私たちの世界はこれまで創られてきたのだろうと想像すると、〈ねがい〉という行為やその言葉は、現実にしっかと根ざしたとてつもなく大きな力のように感じられます。
さて。では、「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」のねがいの形は、どのような実を結んでいくのでしょうか。
先日読んだ本では、これからは「確かなものの時代」から「形のない時代」への転換期になるとともに、これまでの「協調性や秩序を守ることの大切さを説く時代」から「今までの価値観を完全に捨てて、個人が自由な発想をすることが重要になる時代」になると書かれており、始動2年目の「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」にとっては、願ったり叶ったりの時代の訪れだと思われ、吉兆の知らせのようでした。
「形のない時代」とは何でしょうか。
物質に依らないということでしょうか。それに代わる“何か”重要なこと・ものが顕れるのでしょうか。
「今までの価値観を完全に捨てて、個人が自由な発想をすることが重要になる時代」とは何でしょうか。
どういった機会があれば、近い将来そこへと至ることができるのでしょうか。
“ 「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」は、HUMAN ENGAGEDをコンセプトとした〈ことば〉と〈こと・ば〉のコンテンツをつくります。”
“こと・ばのコンテンツ ―― つまり、アクティブラーニング/ワークショップ/ドラマラーニングといったコンテンツをつくります”
これは私たちの理念であり、存在を意義づける根幹のことばですが、私たちは、私たちの武器である〈こと・ばのコンテンツ〉の中にこそ、「形のない時代」「個人が自由な発想をすることが重要になる時代」の光を見出しています。
とはいえ〈こと・ばのコンテンツ〉やその類はまだまだ認知度が低いですし、さらに言えば、ご依頼によってさまざまな形で応えていくので、一見すると内容が一貫しておらず、よく言えば多様な、斜に構えれば煩雑に見えるため、いまいち掴みかねる印象をもたれている方も多いかもしれません。
しかしながら、「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」が見つめているものはいたってシンプルです。
「人が集まる」ということ、その現象そのものがもつ大いなる可能性を信じている。その一言に尽きます。だからこそ、その潜在的能力を最大限に生かしたい。そのための最良の選択をいつでも用意しておきたい。この想いを実現するためのスキルが、私たちにとってはワークショップや体験型プロジェクトのコンテンツづくりであったのです。
SNSやインターネット、AIの進歩によって、人の身体を介在させずともあらゆることが実行可能になった現代において、“集まり”に光を見出すとは時代錯誤なことを…というご意見もあるかもしれません。
ですが、「みんなで考える術」「みんなで決定する術」「みんなでつくる術」「みんなで発展させる術」といった行為が今すぐ必要でなくなるとは思えないですし、さらに言えば、よりいっそう価値観が多様化している現代において、「みんな」とひとまとめにされる人々が一概だとは限りません。だからこそ、今なおたゆまぬ努力として、これらの“術”を育て、磨き上げることも決してないがしろにはできないと思うのです。意思決定の歴史はまだまだ連綿と続いているのはないでしょうか。
「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」は、今後もこのような覚悟を胸に秘め、いただいた機会をひとつひとつ丁寧に、たくさんの想いや意見に耳を傾けながら皆さまのお役に立つべく、さらに邁進して参ります。
集まりis USEFUL FOR OUR SOCIETY,SO WHAT DO WE DO ?
今年もよろしくお願い申し上げます。
2019年1月10日
二宮彩乃
追記)
代表二宮のブログ(https://note.com/ardr_ccd/n/n7c6dce09c2a4)に、下記の内容が追加されました。
・なぜ、「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」を始めたのか
・なぜ今、これらが必要なのか
・数年先、どのようなビジョンをもっているのか
「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」についてさらに補完する内容となっております。
よろしければ、ぜひご覧くださいませ。