ルシータのこと

誰それとの縁、どこどことの縁。

つながる縁はひとや場所など数多にあれど、

自分のこれまでを顧みれば、二本足に限らず犬や猫など四本足にも縁があることが面白い。

 

ヨークシャーテリアのぶんが十五才で亡くなり、

その1ヶ月後にアウラが来たのは2年半前のこと。

その数ヶ月前から、ぶんが元気なうちにと両親にとって最後の犬を迎え入れる準備を始めていた。

どの犬種がいいかしら、どちらのブリーダーさんがいいかしら、子犬から育ててもよいかしら。

それで、この人と決めたブリーダーさんを見つけ、もう一押しの信頼を得たいがために

無理に時間をつくってもらってオンラインで小一時間ほど面会をした。

そして、この人なら絶対大丈夫だと確信し、すっかり安心した日の夜に、ぶんは倒れたのだった。

いたずらにしろ、偶然にしろ、酷なタイミングであったと思う。

8月11日のことだった。

 

小さいけれど大きな存在の空白を、ひと月後にやってくる子犬への期待で埋めて過ごした日々だった。

七夕生まれのアウラが待ち遠しかった。母のためにも早く早く。

条例上、生後2か月は母犬から離してはいけない。

遠く飛行機に乗り、わざわざ迎えに出向いたのは9月の半ばのこと。

ちょうど日本各地の都市部で新型コロナウイルスの緊急事態宣言が発表され、

空港とホテル以外は出歩かず、ただアウラだけを受け取りに行った。

ぽてぽてと丸こく、にこにことごきげんなくろい大きないぬ。かわいいかわいいこいぬだった。

岩手におり立てば、青き稲が広がる景色がどこまでも続いていた。

「たくさんのきれいなものを見せてあげるからね」

穂の名を迎えた日と同じように、青空とアウラに約束をした。

 

思い出したことがある。

その年の5月の半ば頃のこと。

私の夢に初めてルシータが出てきてくれたことがあった。

私が十歳の頃に迎えた黒ラブで、十七才まで生きた伝説の大往生犬だった。

私や私たち兄弟を心底犬好きにした張本人。いや、調本犬。

本当に、とてもいい犬だった。これ以上は言い得ないほどに。

ルシータの死の間際に対峙することが悲しくて、いよいよ危ういと連絡をもらっても

私は東京から戻らなかった。

同じく上京していた上の弟はすぐさま帰省し、見届けたことはあとから聞いた。

今でもそのことを思い出しては後悔する。

 

そんなルシータが初めて、私の夢に出てきてくれたのだ。

私は夢の中で泣いて泣いて感激して、また泣いた。

夢の中のルシータは、穂の名と一緒にいた。

互いに穏やかで、他の犬にはまず吠えることから始めるあの穂の名が、

ルシータとともにあることに私はまた感激しておいおい泣いた。

すべては夢だが、夢であってもその光景を思い返すたびに今でも私を幸福にしてくれる。

 

犬の妊娠期間は約2ヶ月程度である。

アウラの誕生日から逆算すれば、ちょうどルシータの夢を見た頃と重なり合うではないか。

ルシータがまた戻って来たに違いない。

この想像を信じるか信じないかは人それぞれだが、私は両手を広げて抱きとめたい。

真っ黒く立派に育ったアウラの頭をがしがしと撫でながら

心のうちではルシータも撫でてやっている気持ちになる。

ああ、お前は確かにアウラだけれど。

二重に嬉しく微笑ましい気持ち。

 

私は四本足にも縁がある。