皐月の頃が近づくと当たり前に愛でていたのは、わが野生の庭のニホンサクラソウ。
実は絶滅危惧種の一つであることを昨年知り(とある自然観察会の参加者の一人に念を押された)、
自然のままをモットーにしているわが野生の庭で唯一保護の寵愛を受けている。
ニホンサクラソウの葉はひと目見ればすぐにわかる。
葉の縁は丸みを帯びたレース飾りのようにぎざぎざと一定のリズムを刻み、
全体的に楕円形で、葉脈がはっきりとしているがゆえにしわしわとした印象を受ける。
今年もそれらの葉をつけた芽が幾本か、機嫌よく土で背伸びをする。
一年ごしに出会えたことに喜びを感じるが、確か昨年は葉だけであった。花までつけなかったと記憶している。
サクラソウは地中の根茎をのばして生息域を広げるため、
その花はみな遺伝子が同一である。つまりクローンの花々だ。
そして、絶対的に好ましい環境条件がそろったときに初めて種子をこぼし、
かけ合わされて新たな遺伝子を残すのだと十年以上前に聞いたことがあった。
ということは、わが庭ではこの一群のサクラソウしかいないので、受粉ができる好環境は幾星霜待てどもやって来そうにないのだが。
それを承知で、愛すべきサクラソウのクローンをわが庭に増やすことを私の重大な使命としているのである。
そうだ。使命だから仕方がない。私には優先すべきやるべきことがあるのだ。
たかが数十四方メートルのわが庭においてとはいえ、
自然に対し過剰に介入することは私の業に反するようだが。
シラー・シベリカ ――この青きユリ科の小花が開花面積を非常に広げたとあっては黙していられない。
いずれ淡菫色のつぼみをつけるサクラソウが、いかにも園芸種然とした青き鈴の花に呑まれては困るのである。
サクラソウの根茎が地中においても席捲できるよう、手助けしなくては。
そういうわけで私はせっせと、かつてのサクラソウの陣地に花咲くシラー・シベリカを次々と手にかけた。
根絶、根絶やし。植物にとって、この言葉らがどれほどの絶望をもたらすかがよくわかる。
シラー・シベリカも根こそぎ抜いてやりたかったが、土の頑なさと結託していて
地面すれすれでぶちりと切れるほかなかったのは残念だ。
この花は種を飛ばして増えるのだろうか。だとすれば、こうして花が減るだけよいとも考えたが
そのあたりはやはり甘さが出たかもしれない。(この判断の答えは来年に持ちこされるだろう)
嗜好の理由はさまざまであろうが、人間ひとりあたりのこうした嗜好の偏りによって
植物は生かされ亡ぼされ、風景が様変わりする。
殊に嗜好の理由が利益に直結するのならば尚更だろう。
シラー・シベリカをぶちぶちとやりながら、私はそんなことを考えていた。