4月の半ばなれど夏日という過ぎた陽気に祖母を連れ出し花見をする。
私と穂の名との秘密の穴場。
けれども当てがはずれて池の端の枝垂れ桜がつつましく咲くばかりで
その他の桜はまだ蕾であった。
散歩道から少しそれたところに、その花々によって黄色い霞をまとったような山茱萸の木を見つける。
私は道からそれて、山靴に圧せられたことなどなさそうな草草をのしのしと踏みしめ、
祖母のために山茱萸の花を摘みに行く。
95才を過ぎた老女だ。許してくれるよなと心の中で声をかけて。
「この花はなんていうの」
「さんしゅゆ」「さんしゅゆ」「さんしゅゆ」「さ・ん・しゅ・ゆ」
祖母は耳が遠い。正直、花の名前など憶えてくれなくてもよいが
せめてウグイスの声くらいは聞こえてほしいなあと父と言葉をかわす。
ふと見ると、祖母は山茱萸の花をブローチのように左の胸に挿し、
春の装いをあらたかにしていた。
私がリングだの耳飾りだのを幼き頃から好きなのは、彼女の影響なのだと得心した。
季節はずれの高気温も、祖母にとってはちょうどよかったらしい。
頭上にのびる高い木立から、ウグイスがここぞとばかりに
ホーホケキョ、ホーホケキョと鳴いている。遠くで返事が聴こえた気がする。
「ウグイスが鳴いているね」と祖母がいう。
幾層にも重なる聴こえぬ半透明の厚き膜を超えて、
祖母の耳内の感覚器に春の声が届く。喜びの春の陽。