愛犬家の論述

今年は動物行動学と行動分析学(主に犬の)のディプロマを取得すべく、

いろいろ読み漁り、論述問題を解く日々である。

ようやくセクション5が終わり、残すところ各20問×7冊分のセクション…。

文献の根拠は必ずつけなければならず、随分鍛えられている。

日本語対応してくれているだけよかったと思うことにする。

それで、時折、我ながらとてもいい文章が書けるときがあるので、

物書きの性としてどうしてもあげたくなるのである。

以下の論述は、そのうちの一つである。

 

 

問.これまでの一生を孤立して過ごしてきた人に出会った時、あなたは犬とは何であるかをどのように説明しますか?

 

この問に回答するにあたって、仮にこのような場面を設定してみよう。

成人してから三十年以上もの間、ずっと独りで暮らしている人間に「犬の良さとは?」と問われたとしたら何と答えるか、と。犬とは何か、その魅力を多方面から説明しなければなるまい。

犬は分類学上でいえば、動物界脊索動物門脊椎動物亜門哺乳綱食肉目イヌ科イヌ属イヌ、そして犬種名(あるいは混血)となる。冒頭からこのようなことを言えば、想定している人物は突然のことに引いてしまうかもしれない。だが、ここで述べたいのはイヌの分類上の定義が何であるか、ということではない。地球上に存在する百万をこえる膨大な数の種の中で、なぜヒトはイヌを選び、共生することができたのか。または、なぜイヌはこれら多くの種の中から共存のパートナーをヒトとしたのか。種の数だけ他の可能性があったにもかかわらず、だ。

イヌと人間の関係の歴史は古く、イヌ科の野生種が人間と暮らし始めたのは1万5000~1万2000年前だといわれている(ミクロ―シ、2019)。最後の氷河期が過ぎ、人間は狩猟から農業への移行に成功し、定住生活を始めた。野性のイヌ科と家畜化されたイヌはこの定住生活をきっかけに分かたれたと言えよう。イヌが家畜化に至った経緯は、その後家畜化されたブタや羊同様、二つのルートがあった。一つは、イヌが人間の移住地やごみ、残飯に寄ってきて自発的な人馴れによって家畜化されたというルート、もう一つは、人間が野生集団に干渉し、管理を始めたというルートである(フランシス、2019)。二つのルートが同時進行であった可能性もあるが、イヌの場合、前者の説が有力である。イヌは人間との共存生活の中で、自身の消化機構を変容させた。そもそも、イヌというのは食肉目であり、主な栄養源はタンパク質である。ところが、現在のイヌの大半は、デンプンを消化できる酵素――アミラーゼ遺伝子を複数もっている。これは、農耕集落のゴミ捨て場であさった残飯の多くが穀物だったためと考えられている。オオカミと同様に肉食動物であったイヌは、人間との協力共同関係を契機に何千年もの時間をかけて自らを進化させ、食性を雑食としたのである(ロバーツ、2020)。

イヌが人間との共存を可能にしたのは、食性においてだけではない。イヌは、人間の機微を仔細に読みとることができる。人間の感情や次にとるであろう行動、意図、シグナルなどを受け取り、それに見合う反応を返すというコミュニケーションスキルが他の動物に比べ、極めて高いのである。有名な例の一つとして、人間の視線と指さしに対するコミュニケーション実験がある。この実験によれば、イヌは人間の視線や眼差しによって餌の位置を予想することができるが、これらの能力は人間に育てられたオオカミや、まして人間に最も近いとされるチンパンジーにはできないという(内田、菊水、2008)。しかし、その後の研究で、適切な実験環境が与えられ、十分な個体経験を積ませれば、オオカミでもイヌと同等に人間の指差しや視線の意図を汲み取ることができると報告されている。

が、興味深いのは、イヌ自身も、視線信号により人間への意思伝達を容易にできるということを知っているという点である。イヌの眼は、明るい色の虹彩と暗い色の瞳孔の対比がはっきりしているオオカミに比べると、虹彩も瞳孔も同系色に暗めで、黒目がちな印象を受ける。広い額、大きく丸い目、丸い鼻といった可愛らしい特徴はベビースキーマと呼ばれ、人間の赤ちゃんに対してもつ感情と同様、人間からの養育行動を引き出しやすい(今野、2019)。上記の実験では、イヌとオオカミとの差異は最終的に見受けられなかった。が、イヌは求心力ある自分の顔の印象を知ってか知らずかオオカミと比較すると、自分の顔や視線をヒトに向ける傾向が強いことがわかった。ある実験において、蓋を開ければ容器の中の食べ物を取り出せるということをイヌとオオカミに学習させた後、しっかりと蓋を固定した同様の容器を与えた。人間の助けなしでは解決不可能な課題において、オオカミは人間との視線接触をほとんど行わず力ずくで解決しようとしたが、多くのイヌはしばらくすると実験者の人間がいる方を振り向き、じっと長く見つめたり、容器と人間の顔とを交互に見たりと視線を通じてコミュニケーションをとろうとする行動が見られた(今野、2019)。通常、特に動物の本能的行動に基づけば、異種間での視線の接触は、争いなどの緊張関係を生むためにできるだけ回避しようとするものである。ところが犬は、自分の視線に相手への信頼を込めることができるのだ。

この信頼関係は、他の動物では類を見ないほど、イヌと人間との共同作業を可能にしてきた。その多様性は、人間によって生み出されてきた犬種コレクションを見れば一目瞭然である。「チワワ」や「ゴールデン・レトリーバー」などの犬種名は、犬に詳しくない人間であっても知っていそうものだが、そもそも犬種名とは後づけである。犬種という概念は1400年代後半のイギリスから始まったが、当初の目的は犬を機能別に分類をすることであった(ヴィレス、2021)。この作業を経てのち、個々の種に名が与えられたのである。機能別の例を見ると、人間がいかに多岐にわたって犬を自分の仕事の相棒にしようとしていたのかがわかる。狩猟犬にしても、獣を狩る犬、小動物を狩る犬、鳥を狩る犬に分かれており、その他、牧羊犬、牧畜県、番犬や軍用犬などの使役犬、愛玩犬など極めて多彩だ。

一番はじめに想定した独り暮らしの人物に戻ろう。例えば彼の趣味が登山だとすれば、犬は長い四肢で軽快に駆け上がり、彼を先導するだろう。彼の趣味が読書だとすれば、本の読み聞かせのパートナーになり得る。アメリカでは、セラピードッグの一環として、子どもたちの読書スキルと読書に対する態度にいい効果をもたらすリーディングアシスタントドッグの例が報告されている(Lane, Zavada, 2013)。雪深い場所に住んでいるのであればソリ犬として迎えて雪原をともに駆け抜けるのも楽しいであろうし、自然災害が多い日本であれば災害救助犬としてともに人命救助することもできるだろう。迷子犬・迷子猫探しの名人として、ペット専門探偵事務所で働く犬の例もある(ブッチャー、2020)。ともに何かに取り組みたいというのなら、犬たちは必ず応えてくれるだろう。適応力の高さもあるが、何より犬は人間と何かを一緒にするということが大好きなのである。

最近の研究では、犬と人間とのアイコンタクトには人間の母子のようなポジティブな愛情反応が認められることがわかった(永澤、菊水、2015)。これは、一般に愛情ホルモンとして知られるオキシトシンが犬と人間双方の体内で分泌されているためである。

1万数千年前に生きる人々さえも魅了したベビースキーマの瞳、人間を信頼し、語り掛ける眼差し、共同作業の最中にちらちらと交わされるアイコンタクト。これらの視線接触によって、日々幸福を感じさせてくれる動物が犬の他にいるだろうか。

最後に、今度は私から、件の人物の問うてみよう。

「犬と暮らしてみてはどうだろう?」と。答えはきっと「イエス」に違いない。

 

 

〈参考文献〉

内田佳子、菊水健史(2008)、犬とネコの行動学 基礎から臨床へ、東京都、学窓社

ヴィレス・リネー(2021)、原産国に受け継がれた犬種の姿形430種 増補改訂 最新 世界の犬種大図鑑、東京都、誠文堂新光社

今野晃嗣(2019)、イヌとヒトをつなぐ眼、犬からみた人類史、東京都、勉成出版

永澤美保、菊水健史(2015)、オキシトシンと視線との正のループによるヒトとイヌとの絆の形成、ライフサイエンス 新着論文レビュー、http://first.lifesciencedb.jp/archives/10063(閲覧日2022年11月7日)

ブッチャー・コリン(2020)、モリー、100匹の猫を見つけた保護犬、東京都、東京創元社

フランシス・リチャード・C(2019)、家畜化という進化、東京都、白揚社

ミクロ―シ・アーダーム(2019)、イヌの博物図鑑、東京都、原書房

ロバーツ・アリス(2020)、飼いならす 世界を変えた10種の動植物、東京都、明石書店

Lane.Holly B, Zavada.Shannon D.W.(2013)、When Reading Gets Ruff  Canine-Assisted Reading Programs、The Reading Teacher Vol.67,Issue2、USA、International Reading Association

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