今年はユリノキの花を見るのがかなわぬらしい。
ユリノキの大樹を伐るのは、諸事情によって5月のはじめとなった。
帰宅時の道すがら、歩を進めるごとに近づくユリノキの葉を見上げながら帰るのが好きだが
それが叶うのも初夏までだ。
そういうわけで、今日はユリノキとのお別れ会を催した。
私、父、母、偶然帰省した弟、伯母、祖母、亡き祖父の妹とその息子。
ユリノキの木陰の下、食べ物を持ち寄ってみんなで昼ごはんを食べる。
ユリノキの葉を鳴らす風の音が気持ちがいい。
昔はこれくらいの高さしかなかったのに、と皆めいめいに記憶の中の若き木の背丈に手をあてながら
今のユリノキを見上げている。
食事をとりながら、この庭の昔の姿に花が咲く。
曾祖父が30代の頃に建てた家だというから、ざっと計算しても90年分の歴史はあるようだ。
鶏を飼っていただの、ウサギもいただの。井戸があっただの、家族用の防空壕があっただの。
その井戸も、二つあったという人と、一つだったよなという人と。
昔はもっと森のようだったと思ったけれど、それは私が小さかったからかもしれないと言うのは伯母。
しゃれこうべが3つ並んでいたと言っていたがそれも幼き頃の勘違いだったと思いたい。(そうじゃないと困る)
大きな陶の皿があって、そこには金魚がいただの。ケルという柴犬がいたというのも初耳だ。
隣家には、ユリノキの高さと並んでニセセコイアの高い木もあったという。春や秋に美しかったろうなと想像する。
ユリノキの年齢も人が集えば集っただけ、なんだか怪しい。
私は、この家を建てた際に曾祖父が地元の農学部から外来種だからと珍しがってもらってきて
ここに植えたと何年か前に聞いていた。
すると、いやいや、植えたのではなく、そもそもこの地にあったのだと
この家や庭で幼く若き時代を過ごした最高齢の大おばが言う。
すると、伯母は、私はばあちゃん(祖父や大おばの母)から、
この家は既に築100年だと聞いていたからもっとこの樹は長生きなのではと言い始める。
計算が合わないので、皆は首を傾げる。
当のユリノキは、大きな洞が家の2階あたりまで達しているため
年輪を数えようにも難しい。
が、たとえ数えられたところで、ユリノキの年齢が本当は何才かなんて
私たちの誰もが答えがわからずとも好いと思っていたと思う。
ただ、共通の記憶の中に、長年のあいだ、このユリノキがあるということがただただ嬉しかったのだ。
このユリノキは、私たちの記憶の器。
ユリノキの葉風の音。談笑。春の光陰。鳥の声。
楽しい時間が過ぎ去って、最後に私たちはユリノキを背に集合写真を撮影した。
木と一緒に集合写真だなんて、なんだか変な話な気もする。
けれど、写真を見返せば見返すほど、不思議なことにユリノキがひとりのひとに見えてくる。
まるでともにこの時間の会話を楽しんだかのような。
とてもとても、いい写真。