読書が好きだ。偏らず、包括的に、人間のこころを知ることができるから。
それもなるべく普遍的な形で。
もしかしたら、知ることができるような気になってるだけかもしれないが、それでも。
国内・外と区切らず、人間として生きるからにはどこにでも、
重い歴史や文化、周辺との付き合い、それに基づいた近・現代の思想と判断、そして課題がある。
小さきことから大きなことまで。
これらの社会問題は、教科書やニュース、まとめサイト等を見れば、
俯瞰的な構図として端的な言葉と図形を駆使し、矢印なども上手に使って非常にわかりやすくまとめられている。比較的わかりやすい。
けれど、図には現れてこない見えないもの。
個人や家族や社会、それぞれの国々や地域や共同体、時代性などの内部的論理に依るつぶさな人間感情は
それだけでは決して見えてこない。
私見だが、歴史とは、
何かをきっかけとして、些細な心の種子がひとりひとりの中に生まれ考え形をもち、
次第に、集団の中で共有され、寄り集まり、より確かな形をもって行動にうつった結果(ことの成否はともかく)に過ぎないのではないか。
もちろんそこには多くの偶然と必然の時機があるとして。
ここ二年ほどは必要があって専門書を読むことが多かったけれど、
やっぱり小説や戯曲、短編、詩、紀行文などの人文どまんなかの本ももっと読みたい出会いたい。
最近手にとった中東出身の作家の小説や、戦前の東南アジア紀行の手記を読んではっとした。
そこに描かれたさまざまな感情の機微が、私の頭の中にある無機質な俯瞰的構図に
説得力を与えてくれたから。
メモ:行動分析学的歴史考。内部的論理(時代背景や状況構図など)に基づく条件性強化子の可能性。
当然個々人の単一事例として。だけどその総体は?