七十九年

母方の祖父母の家にて、仏壇に手を合わせる。

仏壇が設えてある和室の長押には3つの遺影がかかっている。

若い男性が一人、初老の男性が一人、そして最後に私の曾祖母のマサエさん。

 

今まで気にしたことがなかったが、一番若い男性のことが知りたくなり、祖父に尋ねる。

真ん中の初老の男性については、祖父ではなく母が答えた。

彼は祖父の父であり、母の祖父であったゲンゾウさん。

そして若い彼は、(ここからは祖父が教えてくれた)ゲンゾウさんの弟のカツジさん。

大東亜戦争中、自ら志願して戦地に赴き遠い地で亡くなった。二十歳だったという。

出兵せずに済んだのだから(職業のためか、健康状態か、地域的な理由かはわからない)わざわざ志願して行くこともなかったのにと口をすべらす祖父。

「いや、行くこともなかったってこともないけども」

この言葉に、当時の無念さと80年経った現在の真正直な優しさがつまっている。

白い小箱一つで帰ってきた祖父の叔父。

 

場所は、レイテ島。ああ、あのレイテ…という悲嘆は口には出さなかった。だが、

私の家族の中にも、かの地で命を落とした人がいただなんて。

 

向かいの長押には、当時の佐藤栄作首相の名で発行されたカツジさんのための賞状がかかっている。

感謝と労いの典型的文章。

日付は昭和四十三年だ。二十年以上前に戦死した若者の遺族にこういう書状を配るのが当時の人心掌握政策だったのだろうか?と冷ややかに見た。