弔い

弔い

犬を火葬で送る選択を、私は自分でも拍子抜けするほど自然と受け入れた。自分でも何故だかわからない。これまで一緒に暮らしてきた犬たちは皆、そのままの姿で土に埋めた。祖父母が所有する山の竹林にはロコがおり、ミーがおり、クロクマ(こいつは子猫だが)がいる。中腹にはルーさんがいて、一緒に植えたスズランの花が咲く頃は必ず会いに行く。ハナは、祖父母の農地の敷地内で、花々に囲まれ眠っている。
幼い頃より土葬が普通であったから、私の弔いの信仰はてっきりそれだと思っていたし、愛した犬の溌剌な躰が火に焼かれることなどあり得ない、耐え難いものだろうとさえ想像した。

夜十時十八分。犬が死んだ。
母に抱きかかえられ、私の右手は彼の頬をなでており、弟たちにテレビ電話で見守られての死だった。仕事先の父は、動画だけ送ってくれと言い、晩酌を言い訳にしてひとり泣いていたと思う。とにかく私たちはまた、犬をひとり見送った。

こないだきれいにカットしてもらったばかりでよかった、と母が言った。テリアらしい、さっぱりとしたカットがよく似合う犬で、筋の通ったいい男だった。

犬の為に買いためていたトイレシートや犬用おむつ、ウエットティッシュを惜しみなく犬の躰の下に敷いて、よだれで濡れた口元や、尿で汚れた下半身をきれいにきれいに洗ってやる。筋肉がおち、腰も骨ばっているが痛ましくない。よくぞ十五年も生きたな、と労いだけがある。

目の周りにたまった目やにを拭いてやる。黒ずんでしまった耳の中も拭いてやる。食べかすが付きやすかったもしゃもしゃのひげも綺麗に拭いてやる。年をとり、目耳鼻が利かなくなってさらに認知症の気もあったこの犬は、生来の頑固さに偏屈さが加わり、食欲に見境がなくなり少し卑しくなった。口元の毛はご飯の度に濡れてべしょべしょ。汚れているのを見かね、清潔にしてやろうと顔の周りに手をかざせば、その手の影に支配を見て取りがうがうと怒る。そういった意図なくただ撫でようと人の手が現れればおやつだと思い指を噛んで、また私に怒られる。けれど今ならそんなことをする心配もない。静かに眠る彼の顔のあちこちをどこまでも丁寧に拭いてやる。

始めればきりがない。十五年間ぱたぱた歩いた大事な足の肉球も拭いてやらなければ。またウエットティッシュを一枚引っ張りだす。大きな肉球に小さな四つの肉球。ぷっくりとしていて可愛いなあ。なめらかな凹凸にそって、足の先端を揉むようにしながら拭いてやる。死ぬ前日まで元気に家中を徘徊していたその足は、かさつきがほとんどなく、拭けば拭くほど艶々とする。新品の車体みたいだ。満足する。

銀色のステンレスの櫛はどこへやったか、と母に問う。毛のもつれをとる時に母は必ずそれを使っていた。その辺にないかと返答があったが探すのも手間だ。ピンブラシがあったはずだとつかの間犬のそばを離れる。

普段は大型犬の被毛用に使用しているこのブラシは、小型テリア種のからだには大きすぎた。わかっていたことなので、先端のピン3~7本だけをからだにあてて、毛筋にそって、そっと犬のからだ中にブラシをかけてやる。まず左側面の腰から後肢。細くなったな。ピンブラシの力加減をさらに抑えた。背筋。横腹。胸。前肢。もちろんつま先まで。もう怒られることもない。几帳面に、些細な部位まで細やかにブラシをかける。手首をひっくり返してまた肉球を眺める。可愛らしい丸み。それからしっかりと抱き上げてからだを返す。右側面。腰、後肢、背筋、横腹…。ブラシをかけてやるほどに、毛の艶が増す。からだにそって、毛筋が端正にととのえられていく。若い頃に比べれば全体白くなったが、光沢があるじゃないか。一、二度撫でて、手のはらを置いた。まだ温い。

最後に顔。寝かせたままだとできぬので、これまでと同じ要領で抱っこをする。が、もう自分ではからだを支えられないのだった。あぐらをした私の右腿に上半身をのせ、私がからだをよじる形で体勢をととのえる。右手にピンブラシを持ち直し、眉間に先端のピンを一、二本当てようとしたがまだ体勢に違和感がある。ああ、そうか。ブン、少しこっちに顔を向けてくれ。左手指で犬のあごを持ち上げ、こちらに向かせた瞬間。指先に感じる頭蓋骨の重みに、私は涙が止まらなくなった。目を開かず、素直にブラシにかけられるお前はどうしたというのだ。ブン!

まだ体温が残るからだに手をそえながら、犬の「化粧」をととのえる。涙がぽたりと犬の顔に落ちるたびに服の袖で拭う。少しずつ、生の熱が失われていくものだと思ったが、膝の上にうずくまる犬はまだ温かい。けれど、やわらかな温みは次第に物質的な温かさに変わる。

弔いの動詞の現在進行形。私は今、時間をかけて、いまだかつてなく丁寧にそれをやっている。悲しみに理解が追いつくまで。

八月十一日

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