山からの帰り。
犬に水を与えていたら、軽トラに乗った男性から声をかけられる。
第一声から「セッターかあ?」
すぐに猟をやる人だとわかる。このパターンは何度か経験している。
犬を愛でてもらい、おれの犬も見るかと言われたので見たいと答える。
軽トラの荷台をのぞきこむと、ケージで待機する犬より先に
昨日獲ったばかりだというツキノワグマの四肢と雄鹿の頭部が目に入る。
「お、くまですか」
手(前肢)だと思うが、そのぶっとさに驚嘆する。全体93kgの体躯を支えてきただけあって。
赤き筋肉はみっちりとつまり、骨や腱も見える。肉球。ぷにぷにとして分厚い。
食べたら美味しそうなところを目が勝手に探し出す。
それを知ってか知らずか、
「夏の熊は臭くてんまぐね」と言われる。
秋、冬眠前の熊がんまいらしい。
しばらく話をする。談笑。
はあーだの、へえーだの面白く聞く。
これからワナの見回りに行くのだそうだ。
50頭ほどの鹿の群れがいるだかなんだかで。
遠くに見える風力発電の風車がいつの間にか止んでいた。
風力発電の反対運動。
大型猛禽類の飛行高度と風車がまわる高さが重なっているがゆえに。
そんなことを思い出す。
まさか、人の手によって鹿の数も大激減、あるいは最悪根絶やしになることもあるのかしら。
昨年の猟果200万円という抗いがたい魅力に同調しつつ、
そんな不安が胸をよぎる。
けれども、少し動物福祉の触りを学んだくらいで、
これに携わる人々や彼らの生活全てを否定する傲慢さを私は持ち合わせていないし、持ちたくはない。
~~すべき、と強調しすぎると世の中はおかしな方向にいびつにゆがむ。
自然と人間の距離が近くも遠くもあるここ岩手にいれば特に。
まんず。まんず。
帰りの車内のBGMはSomething to say。
まるでよくできたエッセイのようで居心地が悪い。
我ながら、らしくない文の締めくくり。