愛犬家の論述4

動物福祉の基本理念である5つの自由には「生まれもった行動を表現する自由」(奥山、2023)が含まれる。犬の場合、このような謳歌は質のいい散歩によって実現可能である。
散歩の質や量が不十分な場合、犬の行動にはさまざまな影響が見られる。問題行動の増悪因子となるのはもちろん、運動不足や日光を浴びる機会が失われるために適切な睡眠サイクルが損なわれ、自律神経の働きが弱まる(奥山、2023)。また、グルココルチコイドの分泌量にも影響が生じる。グルココルチコイドはストレス反応により副腎皮質から分泌されるホルモンである。これによって細胞内エネルギー源となるブドウ糖やアミノ酸などを生成され、認知・記憶・情動・睡眠などの多彩な生理機能に関与することでストレスに対する防御作用が発揮されるが、一方で一定の閾値以上では強力な免疫抑制作用が働く(近藤他、2023)。ゆえに散歩不足は病気になるリスクが高まり、場合によっては寿命が短くなると言える。
散歩の質を向上させるためには、嗅覚を刺激する散歩コースやアクティビティを取り入れる必要がある。犬の鼻腔内は嗅細胞の面積が 18~150 ㎠と極めて広く、吸気と呼気が混ざらない構造であるため、吸気の際ににおい分子を鼻腔にとどめることができる(佐々木、2021)。このような解剖学的特徴は、散歩における嗅覚刺激が犬の生得的行動にとって極めて重要であることを示している。

また、他犬のマーキングを嗅がせることも大切だ。性別、個体識別、健康状態、発情期、生殖能力などの情報を得ることができ、また自らも排尿することでそれらをよく知らしめることができるためである(内田・菊水、2008)。ここで気を付けたいのは、良質な散歩を飼い主目線で捉えてはいけないということである。「犬をあなたの左足のところにキープする」「あなたが立ち止まるときにはそのまま滑らかにシットに移る」(モンクスオブニュースキート、1998)という終始オビディエンスが徹底された散歩は犬にとって良質だと言えるだろうか。例えば、犬がにおいを嗅ぐために飼い主の脚側からずれる。その度に犬の首にショックを与えれば、正の弱化によるオペラント条件づけによりにおいを嗅ぎにいく行動を減る。あるいは、そのような嫌悪刺激を避けるために
負の強化として飼い主の脚側から離れないこともあるだろう。これは冒頭に挙げた自由に反すると言える。
ある実験によれば、ヒールワークとノーズワークのトレーニングを行った犬をそれぞれ比較した際、後者の犬、つまり自分の意志でにおいを探し当てる犬の方が物事を楽観的に捉える傾向が強いことがわかった(藤田、2021)。これは多様な嗅覚刺激によって生起された条件性情動反応が肯定的であることをよく表している。犬の嗅覚能力を満たす良質な散歩の必要性がこの点からもよくわかる。ゆえに散歩コースは町中だけでなく、森林や山、水辺など自然環境豊かな場所があるとより望ましい。

尚、近年国内で発行された一般読者向けの犬の飼い方に関する本をいくつか参照すると「散歩中の排泄を覚えると、家でしなくなることがある」「自宅で排泄させてから散歩に行くというマナーもできつつある」(野澤、2020)のように、家の中での排泄を推奨するような記述が見受けられることがある。だが、上述したように、犬にとって排尿は単なる排泄ではない。犬社会の枠組みにおける重要なコミュニケーション伝達手段の一つであり、さらにまた、繁殖のために異性を呼び寄せるための種間保存の重要な役割を担うものである。ゆえに犬にとって必要不可欠な行動を人間の無理解によって損なわせるのは動物福祉に反すると言えよう。犬は犬らしく自然のままの行動がとれるよう、飼い主は正しい知識を身につけるべきだと強く主張したい。

 

 

〈参考文献〉

内田佳子、菊水健史(2008)、犬と猫の行動学 基礎から臨床へ、東京都、学窓社

奥山順之(2023)、専門家はどんなことを行っている? ~一次診療とセカンドオピニオンのボーダーラインSA Medicine vol.25 №3、東京都、EDUWARD Press

近藤保彦、小川園子、菊水健史、山田一夫、富原一哉、塚原伸治(2023)、脳とホルモンの行動学 わかりやすい行動神経内分泌学 第2版、東京都、西村書店

佐々木文彦(2021)、楽しい解剖学 続・ぼくとチョビの体のちがい 第2版、東京都、学窓社

野澤延行(2020)、犬のための家庭の医学、東京都、山と渓谷社

藤田りか子(2021)、増補改訂 最新 世界の犬種大図鑑、東京都、誠文堂新光社

モンクスオブニュースキート(1998)、ニュースキートの修道僧たちによるスピリチュアル・ドッグ・トレーニング 犬が教えてくれる新しい気づき ~人が犬の最良の友になる方法、東京都、ペットライフ社