縁あって、多頭飼育によって放棄された犬たちのもとへ先月末から通っている。
全部で7頭。保護施設内の大部屋が彼らの専用ルームである。
結論から言えば、この一か月弱のあいだで私は考えを大きく改めざるを得なかった。
彼らは犬に違いないが、半分は野生の獣である。後天性の、と書き加えておこう。
犬の行動学(特に問題行動)においては、生後3か月までの間にどれほどの刺激(人間、他犬、動物その他すべて)が与えられたかが非常に重要であるとされる。
子犬のうちからたくさんの優しい人間に会った個体は、人が好きで好きで、
自分の生涯死ぬまでずっと、自分のそばには二本足の人間がいてくれることを知り、喜んで受け入れる。
一方、この期間中に人間に会わなかった子犬(特にその期間が生後3か月をこえて長ければ長いほど)は、
人間が恐怖や不安、警戒の対象となる。
ここでの7頭は、3棟の家それぞれで多頭化し、飼育(といっても餌やりだけであろう)されていたと聞く。
まだ出入りし始めて間もない私の週一回の闖入は、非常に心身の緊張をもよおさせているだろう。
この部屋に入ればすぐ、7面のこわばる顔と遭遇する。
普通に飼われている犬にとって、アイコンタクトは喜びである。
よって行動形成においてはアイコンタクトを強化し、かつ二次性強化子とする手続きをとる。が、
半分野生の彼らにとってはアイコンタクトは緊張を増長させるトリガーであるようだ。
相互に幸福を交換しあう家庭犬とのアイコンタクトと異なり、
彼らの目には、「動くな」「こわい」「近づかないで」といった感情が垣間見える。
また、家庭犬との散歩においては(主に私の場合だが)
節度をもちつつ、犬が犬らしい行動を存分にとれるよう自由に歩かせることを私は好む。
だが、7頭の彼らにとって自由な状態でだだっ広い環境に晒されることは
恐ろしい状況に放り込まれるに等しく、瞬時に本能的逃走反応を生起させる。「逃げなければ」。
ドッグランのような環境を身一つで横断するなど自殺行為にも等しいに違いない。
私自身のスキルアップのために!と奮っていたが、
トレーニング云々の前に、
まずカニス・ルプス・ファミリアス――「(人間の)家族としてのオオカミ犬」になりきれなかったこの動物たちを知ること。
机上を離れた学びは続く。