雨で散歩に行けないときや、忙しくて相手をしてやれないとき、
ついつい口に出してしまう言葉。
「わかった、あしたな!」
「あしたまで我慢」
「あ・し・た!」
こどもへではない。
わが家の大きな犬に対して、だ。
あ~、こいつに「明日」の意味がわかったらどんなにラクだろう!
とよく思った。
この意味さえわかってくれれば、
雨が続いて家の中でのいたずらが増えて困るときも
忙しくて相手をしてやれないときの構って攻撃も
「ok、あしたね」ってことではたと止めてくれそうなものなのに。
人間のこどもであれば、夜を一晩こえれば明日が来るということは
成長するにつれ、いつしか理解してくれるのだろう。
(納得してくれるかどうかは置いといて)
でも、犬にそんな希望はあるのだろうか。
「あした」の意味をわかってくれる日はくるのだろうか。
「ボール」はわかる。
「おやつ」もわかる。
「ごはん」もわかる。
「ナポ(一緒に住んでるネコ)」もわかる。
でも例えば、「きれい」がわかるかと聞かれれば、
たぶん絶対わかってない。
「きれい」。形容詞。
ある種の価値基準に名を与えただけ。
そこに秘められた美の概念、抽象的な観念も含む。
けれど、「きれいだね」と言うといつもニコニコ、ごきげんになるので、
明るいことばだということくらいはわかるらしい。
では「あした」は?
名詞。特に時間の概念や経過を指す。目の前に現れ得ない、手でつかめないという点においては限りなく抽象。
いつだか、ドッグトレーナーさんから面白い話を聞いたことがある。
犬に「コマンド(言葉)」を教えるとき、
はじめはただの音でしかなく、とても抽象的な記号としてのみ犬の脳に届くのだそうだ。
けれど、例えば「ボール」と言うときにボールを常に見せるとか、
「おすわり」と言うときに必ず自分の行動が決められる(=座る)とかするうちに、
ただの音であったものが形を具え、
文字通り「具体」として犬の中に”意味”がアップロードされていく。
それが、犬のトレーニングにおけることばの積み重ねの基本的な考えだそうだ。
ということは、
私と愛犬のあいだで始めはまだ意味をもたずに横たわっていた「あした」という音にも、
一緒に暮らしてきた年数分、私たちだけの「あした」の意味が積み重ねられ、
アップロードされることもあり得るというわけだ。…
?????
ここまで考えてのち、私はすっかり「あした」という言葉を犬には一切使わなくなった。
「明日」の意味を教えることに成功した人間がいれば知りたいもんだし、
「明日」の意味を理解した、人知をこえた犬がいるのなら教えてほしい。
「明日」とは何かがわからないからこそ、彼らはどこまでも犬なのである。
日が沈んで夜になれば眠くなる、
日がのぼって朝になれば動きたくなる。
そのリズムのひとつひとつに「1日」という区切りを与え、
彼らに教えたとして何になろう。
犬は犬らしく、君のままであれよ。
人間の都合は、私の方でうまくやるからさ。