からむしについて、祖父と話しているときのこと。
ふと顔を上げたら何やら人為的なものが軒下に工作されていた。
ちょうど、表皮を剥いだあとのからむしの茎の利用について聞いているところだったのでこれもそうなのかと問えば違うという。
畑の実付きがよくなるには
花の上や花の中を歩いてくれるものがいなければならない。
そういうわけで、虫博士のじっつぁま(祖父の弟)がこしらえてくれたのがこれである。
まめこばちの巣だそうだ。
「まめ こ ばち」
口にするだけで愛おしい可愛い名前。
姿形が判然としないが
どこかで出会ったことがあっただろうか。
あれこれ記憶をさかのぼる。
すると、ああ
あのこがまめこばちだったのかも、という小さな蜂を思い当たった。
とうもろこしの収穫を楽しみにしていた夏の盛り、
簾のようなとうもろこしの花房を
器用によじのぼる小さな蜂がいた。
ちびちびとよじのぼるたびに
淡黄色をしたやわらかな花粉がふぁさふぁさ
あたりに舞っていた。
とうもろこしは祖父母の家のとうもろこしが一番んまい。
毎年あちこちで買ってはみるものの、やっぱり軍配は祖父母の家のとうもろこし。
今年もたくさんとれたので、
夏のあいだ中、毎日美味しく食べていたけれど
まさかその影にあの小さな小さなまめこばちがいるとは知らなかった。
ありがとうと言ったところで
彼らは彼らの生のためにやっていただけのことなのだから一方的に感謝を手渡すのも心地が悪い。
人間側の価値世界の範疇だけで
彼らの行為にことばを与えてみたくはない。
ただ来年も対等に、
同じ畑にそれぞれの世界でともに住まうこと。
へそ曲がりな私が望むことはただそれだけ。
私 と まめこばち。
並べてみたらいい感じだ。
これから寒くなるね。