老犬の_

老犬の
夜闇に谺す
断末魔

夜の闇
老犬の断末魔二度

「夜闇」は季語ではないのではないか、と私。
ああ、そうか、と母。私は興をそそられた。

突然脳の発作に見舞われた犬を動物病院から連れ帰ったのは夜だった。犬はかつてなく自分をさいなむ激痛と混沌により、聞いたことのない声をあげた。ひどく高い声で、ひぁーーーーーん、ひぁーーあん、ひぁーーんと叫ぶのだ。声は裏返り、かすれ、耳をつんざくとはこういうことをいうのだと思った。盆前だというのにひどく冷たい晩。
母は、のたうつ犬を抱えながら、車の停車場から自宅へと駆け込んだ。その短い道中、近隣の高層マンションに犬の声が反響し、闇夜全体に悲痛な叫びが谺し増幅されていたのが忘れられない。それがこれなの、と母は言った。

あの混乱。私はすぐに暗中必死の緊張感ただよう夜を思い出した。たえまなく秒速で処理される圧縮された激しい感情の波、あの特殊な時間感覚を十二字に留めることなどできるだろうか。

「夏闇」。梅雨の頃の鬱蒼とした暗さ。これじゃ時節が異なる。
「盂蘭盆会」。十二字の中で強調さるるべきは、季節はずれの盆の肌寒さではなく、谺するなのではないか。しかし、盆という語は自ずと死を連想させる、あの時の私たちの不安の鏡のような言葉だ、うんぬんかんぬん。

わが犬老いて
闇夜に谺す
断末魔

わが犬としたのは野良犬との区別をはかるため、と私。
断末魔をそばで聞いている時点で家の犬だとわかる、と母。
なるほど。
というか、季語を忘れていた、と私。

私たちは、さまざまな言葉をもちだして、あの暗い時間に色をつけた。奇妙に癒やされる時間であった。

母の二句。

老犬の
夏夜に谺す
断末魔

盂蘭盆会
老犬の断末魔二度

八月十六日