地区Mのこと(2015)

 

※この作品は2015年に上演した『地区Kのこと』から抜粋したモノローグはそのままに、

より読みやすくするためにweb用に設定を少し変えたものです。

明記しているト書き以外はすべて俳優の裁量に一任しています。

 

とある国の とある町の 町長による独白

 

      小さな町の、(ある意味で)大きな会見の席。

      それなりに見栄えのよい机と、よくあるパイプ椅子が一脚。舞台中央に置かれている。

      パイプ椅子に座ると、観客と向かい合う形になる。

 

      暗がりでは男が丸椅子に座している。待機部屋だろうか。

      あの事故からまもなく五年が経とうとしている。

 

町長

俺は

 

      客席脇には報道カメラが構えている。レンズは空のパイプ椅子に向けられている。

 

町長

俺は、きっと知らぬ間に耐えてきた。自分の故郷(ふるさと)が少しずつ汚されていくことに。いや、汚されていく、というのは、これは言葉の誤りか。やめよう。この地に住む誰かを一人でも傷つけるような言葉は。俺は、もしかしたら絶望している?かもしれない。原発、核のゴミ、放射能…メディアが飛びつきそうなそういう問題に、自分の生が突如としてぶち当ったから?絶望しているのかもしれない。人の情というものに絶望したのだ。ある種の人間がもつあの冷徹さに。俺は知っている。こうして礫(つぶて)を噛み、岩で頭を砕き、巌(いわお)で腹を押し潰される苦しみの渦中にあるこの俺を、音も立てずにじいと見ている存在があることを。あなたたちはその日その日のお天気のように、時に同情し、時に無関心になり、共感し、話のタネにし、時にはいい題材だなどとそしらぬ顔をして面白がりながら、また気まぐれに温かな涙なんかを流すのだ。けれど、いい。いい。それでいい。

自分が愛してやまぬ地のことを、強い愛で想い、同じ心で嘆いてくれなどと誰かれ構わず求めるようなことはしない。俺は愚者ではない。賢者でもないが。

あなたたちは、俺の言葉をただ黙って聞いてくれさえすればいい。俺がこうしてこの地を想い、この地のために、この地への愛から、この地を望まぬ形で語ることを、心の底から嘆き悲しんでいるこの俺の言葉をただ、そこで聞いていてくれ。誰か。誰か。

俺は、泣いた。泣いたぞ。俺はただ、人のために泣いた。
誠実であることは難しい。真摯であることは難しい。ひたむきであることは難しい。けれど、俺はそうあるべく、曲がりなりにも耐えてきた。ある決定が下されて、それが世間一般的に正しいことであり、求められる最良最善の道であることを知っていたから。それが俺にとっての「正義」の勲章となることも知っていたから。だから、俺は耐えてきた。あの言葉を公言することの意味はわかっている。だから、俺は今尚耐えている。それなのに、傍らにいるもう一人の自分は、それらの悟性が嘘であると悉く自覚し、俺のこの選択を許さない。しかしこの世の中を前に進めるために、俺は皆に向かって公言しなければならない。矢面にたとう。仕方がない。風当りはもちろん強いだろう。仕方がない。俺には多くの非難の言葉が寄せられる。これも仕方のないことだ。俺の背広は、否定の2文字がびっしりと張りついている。

だが、……。―そうだ。「今、この時代で決着をつける」-この言葉だけが私を押し出す唯一の希望だ。だから、私は耐えてきた。だけれど、私はついに泣いた。私は人のために泣いた。故郷への愛を語る術を奪い取られた人たちの為に。その理解と共感を得られなかった人たちの為に。担う荷の重さを一身に背負う人たちの為に。歩きなれたこの地を今一度踏みしめる人たちの為に。それでも私は、等しく、等しく、下さなければならない。

私は、地区Mへの建設を、推進します!

あぶく。あぶくだ。きっと届いていない。この言葉はあぶくで済んだ。助かった。決すべき文言が届くその前に、気泡となって浮かんでいった。助かった。俺はいまきっと、水のどん底にいる。

うめる、うめるのか?うめたらそれが答えとなるのか?今少し疑ってもよいのなら、考える。考えさせてくれ。うめる…うめるのか?私たちはそれできちんと始末をつけたことになるのか?確かにきっと、この世は平地になるだろう。邪な物らは一切合切無くなるだろう。見渡す限り、視界は冴やかだ。きっと遠くまで見渡せる。多くの森林・山野を代償として、きっと遠くまで見渡せる。しかし、されど、これが最善か?うめる、うめるのか?私たちはきちんと管理できているのか?押し付けているのか?次の世代に。私たちは未来をあかるく見据えているか?

人間は、きっと発明の順序を間違えたのだ。土器、矢じり、つり針、石斧、これらに始まり数百万年。人間は数百万のときをかけ、無数のごみを発明した。しかし、私たちはまず、何よりもはじめに「無」を、ゼロに還すことを見つけ出すべきだったのではないか。否、否、これは無限に否の問か。仮の世界を語る言葉に答えはまるで無い。もはや、遅い。遅すぎる。

俺は今、水の底にいる。無音の静寂も今だけだ。俺の、俺の言葉で全てが決する。

私は、地区Mに…!

なしのつぶて。俺の言葉は受け入れられないだろう。きっとまた、そこら中に赤い色ののぼりが点々と連なって、俺の心は、俺の胃は、俺の脳天は突き破られる。黙せよ、俺の口。俺の言葉はきっと受け入れられない。この口から。出るな出るな出るな。だが、時代が、この国が、運命が、俺に云わせるのだ。仕方ねえだろう。わかってくれ!わかってください!

あなた方が住んでいるこの地区につくらせてください!
あれを焼かなければならないのです!
灰に、灰にさせてください!
そうすればうめることができるのです!
あなた方が住んでいるこの地区に、つくらせてください、お願いです!

ええ、ええ、知っています。地図を眺めれば、こんなに広いこの地の中で、何故ここなのか?という声があることも。ええ、それも知っています。大気圏あたりから眺めれば、この問題は粒ほど見当たらないことも。だから私たちは、皆平等に、明日は雨だとか晴れだとか明日は冷えるから温かくなさいとか、明るい明日をたくましく描いて過ごせばいい。それが、幸せに生きるということだ。ええ。そうですね。おっしゃるとおり、宇宙の果てから眺めれば、この問題は語られることすらあり得ない。それでも現状、我々の目と鼻の先に、緑の平原の只中に、白色の塊、黒色の塊がごろごろと転がっているのです。シートを張り替えるしわくちゃの手があるのです。

この問題を扱えるのは、いま、このとき、私たちだけだ。明日でも明後日でも、一年後でも十年後でも五十年先でも百年先でもない。今だ、今なのだ。今、私たちは決断を求められている。私は何か、巨大な怪物のような気さえする。あの尾のしなる音がして。しょうがないじゃないか。今を生きる私たちの耳に、不気味な音が聞こえるうちに、聞こえるうちに決さなくては。この時代のうちに、この時代のうちにどこかで誰かが云わなくてはならないじゃないか。始末をつけなきゃならんじゃないか。この時代のうちに。たとえ暫時的処置といわれようとも、いつまで暫時を放っておけばよいというのか。誰か、俺の相手をしてくれ!俺の問いに答えてくれ!俺の話し相手になってくれ!きっと私たちは、よく扱いきれなかったのだ。あれを発見したときから。あのおそろしく美しい莫大なエネルギーに魅入られてから。

無を語る権利をもつのは死する者だけだ。無に還す術をもたずに生きる者らはのうのうと。だが、だから、生きる者たる私は、世界への解答を口にする。人類代表として口にする。全ての始末をつけるには、人間の寿命は短すぎる。それでも生きるこの私が。

どうぞ、何でも投げつけてください。歓迎してください。私はここに宣言します。今、決するときです。今こそ、決するときなのです。

私は、この地区への建設を、推進します!
私は、この地区への建設を、推進します!
私は、この地区への建設を、推進します!

どうぞわかってください。私は誰も責めはしない。
けれど、誰か、静観せずに、
私にこの言葉を云わせる誰か。誰か。あなた。
私のために泣いてください。

 

      男、立ち去る。