私の野生の庭には、ユリノキの巨木がある。
若き日の曾祖父が植え、その子である祖父が生涯愛した大樹である。
百年生きているだけあって、ここらで一番背が高い。
一方で、根元から幹にかけての洞も年々広がるようである。
空に近い方の比較的若い枝々は年々太く長くなり、重くなる。
これでは倒れるのも時間の問題かもしれぬ、という人もいる。
あるいは雷に打たれる前に伐った方がよいのでは、と。
そうなったらこの家は、多少なりとも損壊するだろう。
運が悪ければ、2階全体つぶれてしまうかもしれない。
父も私もそれくらいの懸念はとっくに抱いているのである。
ところが自分たちの住処を守ることさえなおざりにして、
心のどこかで、それもこの樹にとっての自然な歴史なのだと沈着な観察者として日々眼差している心地がある。
あるいは、本当にぎりぎりになるまではこのままでいいか、というやわらかな気持ち。
曾祖父や祖父と同じく、この樹とその記憶をこそ愛する者。
父と私はいつか後悔をするのかしら。