横倒しになったユリノキの幹の洞を見ていて、思い出したことがある。
私の人差し指ほどの太さの空洞がいくつも走る。おそらく虫が通ったあと。
水を多く含むユリノキの幹をもぐもぐぐしゅぐしゅと食い進み、腹の端からおがくずに似た糞を出す。
この樹を弱らせ、腐らせたもの。
そうだそうだ。カミキリムシだ。
私が小さい頃、この庭にはよくカミキリムシがいたのだった。
幼い私は「噛みきり虫」を「紙切り虫」だと合点し、細く切った紙を与えて遊んでいた。
確かに名前の通りにあの鋭い顎を持って、紙を切る(というか破く)ので
私の推測した名前の由来は正しかったと小さな胸を誇らせた。
一度、指を思いきり噛まれたこともあった。
大牡丹の茎より細い私の指先にはすぐに血が滲んだ。とにかく痛かったことを覚えている。
あの顎だ。噛まれながらも、何となく納得したのは紙切る実験の賜物だろうか。
カブトムシやクワガタなど強そうな甲虫はたくさんいるが、
私の中ではあの激痛ゆえに、カミキリムシこそ最強なのではなかろうかと今でも思っている。
毎年遭遇していたはずなのに、いつの頃からかカミキリムシはいなくなった。
少なくとも、私がこの家に戻って来たこの5年のうちでは一度も見かけたことがない。
高校生の頃はどうだったのだろう。庭に出て虫だのなんだのと騒ぐより、携帯電話が楽しかった時代だ。
実はいたかもしれないし、既にいなかったのかもしれない。
もはやいつとも知れないが、カミキリムシはユリノキの美味い部分をすっかり食べきって、食い尽くした分
口寂しさにどこか別の林へ飛び立っていったのだろう。
もしくは、シロアリなど別の虫の勢力に負けたということもあり得るのかしら。
痛い思いをしたくせに、背格好といい硬さといい、
なぜだか今でも好きなカミキリムシ。
飛ぶとさらに迫力があっておっかないということも、今書きながら思い出した。
記憶の中で再会する相手は何も人間だけとは限らないのだな。