夜、穂の名を外に出してやる。
まもなく新月を迎える月の空は暗い。
ほのかに月光、星あかり。
新緑の葉は明るい陽射しの下では輝かしいが、
今や闇そのものが葉の形を擬態したような重たい青。
空気は透きとおり、たくさんのつぼみの香りをふくんでいる。冷たいくらいだ。
音はしない。風はない。この香りでさえ、もしやたゆとうているのではなく、
この空間そのものに張りついているのではないか。静かだ。何も、動かない。
もしや百年前にもこれと同じ景色があったのかもしれない。同じ条件で。芝居の風景絵みたいな。
ほの暗さとほの明るさのあわいで、私も大気にでもなったのではなかろうか。
光と音と空気にならぶ現象のひとつとして。
穂の名がぶるぶるぶるっとからだをゆする。動いた獣。異(い)なるもの。
心臓に引き戻されて、我に返った。