雪が少しずつ溶けだしたちょうど3月の中旬くらいから、
わが庭では見慣れぬものが散らかっている。
ひまわりの種だ。
例年、この時期になると春の便りを拾いたくて、朝から野生の庭をぶうらぶうらするのだが
ひまわりの種と邂逅するのは初めてだ。
しかもそれが、なかなかの量で散らかっている。
はじめに気が付いたのは、玄関の前全体だったが、
よく見ると、玄関の前から門の方までちらほら広がっている。
さては、先日の強風のせいもあるだろうが、ひと時でこれほど目に付く量のひまわりの種が散らばされたのか、
何回かかけてこうなったのかはよくわからない。
誰によるものか、犯人の目星もつかない。
考えられるのは、もちろん鳥によるのだろうが、一口に鳥といったって、結局だれだ?となる。
それに、ここらの私の行動圏内でひまわりが咲いている場所も全く思い当たらない。
その場で食べず、わざわざここまでひまわりの種を口に含んで食べることなんてあるものかしら。
一羽だけによってか、それとも群れになって「あそこで食べようぜい」と
この家を選んでくれたのかは皆目わからないのだが
面白いことである。
そういえば、ユリノキを伐った後の昨夏の庭では
思いがけずひまわりが二輪咲いたのだった。
そう考えると、あのときの犯人と同一鳥物で、ひまわりの所在も同じところに由来するのかもしれない。
(私はリスの類が苦手なので、あえて触れない。多分ここらにはいないし!)
そんなことを考えながら、今朝も早くから穂の名を野生の庭に放ってやる。
毎朝6時前後にワンワンワンと吠えたてながら
庭に出る。ご近所の皆さん、要らぬ目覚まし時計で申し訳ない。
春の早朝は、あちこちでいろんな鳥の声がする。耳を澄ませば澄ますほど、その種類は随分と多いようだ。
最近犬の整体にハマっているので、穂の名の今日の足運びを入念に観察したりしながら
さえずりの声の主を探してみたりする(めっぽう見えない)(あるいは影になって)。
穂の名は、聞き慣れぬ鳥の声に対してか、またワンワンワンとやるのだが、
小鳥の世界では地べたから動かぬ騒音は存在にしないに等しいらしい。
一切影響されることなくジジジジピピピピヒヨヒヨピョウピョウウリウリやっている。
事実、穂の名にも鳥の姿は見えていまい。
私は同じ庭にいながらして、それら二相の世界線を面白おかしく見守っている。