標高6,600m

昨年お世話になった方の奥さまだった。

6月24日日本時間15時30分頃。遭難信号が送られたときは、まだ存命であったとWMA遭難対策本部のHPには詳細に記録されている。

6月25日日本時間21時30分頃。「声がきけたことを確認」。

6月26日日本時間8時頃。現場の救助チームによる死亡診断。大きなショックだった。

救助チームおよび生存者の安全確保のため、おからだは一時的に現地に安置。

6月27日。

6月28日日本時間21時25分。ようやく救助隊の手によって麓に搬送され下山が完了。

 

いのちを燃やして救助を待つあいだ。標高6600mで安置されていたあいだ。

たくさんの時間を想像し、ずっとそのことばかりを考えていた。

 

あらゆる面から救助に奔走したすべての方々に尊敬を。

山岳医療の分野においてこれまで多大な力を注ぎ、この先何十年分も余りある意欲を滾らせていたであろうその人を、心から惜しみ、偲んでいます。