うみやまのあいだ、
あめつちのからだ
“正しく清くはたらく人は、ひとつの確かな芸術を時間の後ろにつくるのです”
宮沢賢治

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愛犬家の論述
今年は動物行動学と行動分析学(主に犬の)のディプロマを取得すべく、 いろいろ読み漁り、論述問題を解く日々である。 ようやくセクション5が終わり、残すところ各20問×7冊分のセクション…。 文献の根拠は必ずつけなければなら

私は何者でもあり、私は何者でもない。
私は何者でもあり、何者でもない。 私が私のために私を見出すときは、私は言葉を地下深く掘り下げ したためている。 静か。

周辺視野
_____の本質的な理解は、自然科学者(生態学者、昆虫学者、動物学者など)、健康科学者(獣医師、医師)、歴史学者、人類学者、社会学者、芸術家、一般市民の参加なくして達成できない。 私たちは一人ひとりみな互いの周辺視野なの

「ブレーン」2023.6月号でご紹介いただきました
5月1日発売の「ブレーン」(宣伝会議、2023.6月号)に『ひとしずく』をご紹介いただいております。 どうもありがとうございます。 また、同日エフエム岩手さんの「夕刊ラジオ」でもおすすめ本としてご紹介いただ

全う
足を縛られ吊り下げられたニワトリの 頸筋は、ことの異常を察してか羽毛が毛羽立ち皮膚が隆起し 素人の私でもわかった。ああ、あそこに頸動脈があるのだな、と。 こどもを含めた人間たちの好奇、不安、憐憫の眼差しに晒されて その場

ブロイラー諸君
超個体 =多数の個体から形成され、まるで一つの個体であるかのように振る舞う生物の集団 アリや一部のハチがそれに該当するが、 世界中でこれだけ多く生産されているブロイラー諸君。 「

背骨
骨が落ちている。 岩手の山中やのっぱらでは珍しいことではない。 道すがら獣の骨を見たのは、これで三度目。 一度目は、まだ灰色の毛が残る大腿骨から蹄。後肢一本。カモシカだろうと思う。 二度目は、頭蓋骨と上下顎

羊の肖像
インダス文明の印章には、飼いならされたゾウの絵が刻まれているそうである。 今から4000年も前の昔の話だ。 アジアにおいては、ゾウは宗教的な象徴であったと同時に、戦争や物資の輸送、伐採などで利用されてきた歴史をもつ。 ア

羊毛
先日は羊の毛刈りを見学させてもらった。 馬、ヤギ、ヒツジ、牛。 4、5月はいろんな種類の四本脚に縁があり、私は嬉しい。 毛刈りをした方の奥さんがウール作家さんということで、 羊毛を洗い、毛糸にするまでの工程
作家インタビュー(後編)
リンクはこちら↓ 岩手県出身の作家が語る、日常生活に根付く「宮沢賢治」という存在 – 新刊JP (sinkan.jp) 新刊JPさま、どうもありがとうございます。
「変わらなくてもいい生活」。
衣食住の多くを、山川海、水と土と植物から得てきた私の祖先の生活は
人の世がどう変わろうと、ゆらぐことなく脈々とつづく。
生活の「せ」の字もまともにしてこなかった人間だが、3.11とコロナ禍を経て
私も祖父母や先代のように「変わらなくてもいい生活」を送りたいと思った。
あらゆる共同体、あらゆる社会が私を何者と規定しようが執着はない。ただ、
自分のからだをどこに置くか、その世界(観)や生き方だけは私が決めたい。
人々の間から、うみやまのあいだのからだのわたしへ。
遅々として進まぬ速度も私らしくていいのだろう。
思いつくまま記録する。


MESSAGE
はじめまして。ウェブサイトをご覧いただき、どうもありがとうございます。
「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」代表の二宮彩乃と申します。
平成が終わり、令和という新たな時代が始まりました。昭和・平成という変化に富んだ激動の時代を経て、令和という時代がどのような軌跡をたどるのか。この答えをすべて的確に言い当てることができる予言者は地球上どこにもいないでしょうが、それぞれの視点から「こういう時代になっていったらいいな」という動きは大小問わずあちこちで始まっているように思います。そういった〈ねがいの形〉の積み重ねによって私たちの世界はこれまで創られてきたのだろうと想像すると、〈ねがい〉という行為やその言葉は、現実にしっかと根ざしたとてつもなく大きな力のように感じられます。
さて。では、「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」のねがいの形は、どのような実を結んでいくのでしょうか。
先日読んだ本では、これからは「確かなものの時代」から「形のない時代」への転換期になるとともに、これまでの「協調性や秩序を守ることの大切さを説く時代」から「今までの価値観を完全に捨てて、個人が自由な発想をすることが重要になる時代」になると書かれており、始動2年目の「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」にとっては、願ったり叶ったりの時代の訪れだと思われ、吉兆の知らせのようでした。
「形のない時代」とは何でしょうか。
物質に依らないということでしょうか。それに代わる“何か”重要なこと・ものが顕れるのでしょうか。
「今までの価値観を完全に捨てて、個人が自由な発想をすることが重要になる時代」とは何でしょうか。
どういった機会があれば、近い将来そこへと至ることができるのでしょうか。
“ 「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」は、HUMAN ENGAGEDをコンセプトとした〈ことば〉と〈こと・ば〉のコンテンツをつくります。”
“こと・ばのコンテンツ ―― つまり、アクティブラーニング/ワークショップ/ドラマラーニングといったコンテンツをつくります”
これは私たちの理念であり、存在を意義づける根幹のことばですが、私たちは、私たちの武器である〈こと・ばのコンテンツ〉の中にこそ、「形のない時代」「個人が自由な発想をすることが重要になる時代」の光を見出しています。
とはいえ〈こと・ばのコンテンツ〉やその類はまだまだ認知度が低いですし、さらに言えば、ご依頼によってさまざまな形で応えていくので、一見すると内容が一貫しておらず、よく言えば多様な、斜に構えれば煩雑に見えるため、いまいち掴みかねる印象をもたれている方も多いかもしれません。
しかしながら、「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」が見つめているものはいたってシンプルです。
「人が集まる」ということ、その現象そのものがもつ大いなる可能性を信じている。その一言に尽きます。だからこそ、その潜在的能力を最大限に生かしたい。そのための最良の選択をいつでも用意しておきたい。この想いを実現するためのスキルが、私たちにとってはワークショップや体験型プロジェクトのコンテンツづくりであったのです。
SNSやインターネット、AIの進歩によって、人の身体を介在させずともあらゆることが実行可能になった現代において、“集まり”に光を見出すとは時代錯誤なことを…というご意見もあるかもしれません。
ですが、「みんなで考える術」「みんなで決定する術」「みんなでつくる術」「みんなで発展させる術」といった行為が今すぐ必要でなくなるとは思えないですし、さらに言えば、よりいっそう価値観が多様化している現代において、「みんな」とひとまとめにされる人々が一概だとは限りません。だからこそ、今なおたゆまぬ努力として、これらの“術”を育て、磨き上げることも決してないがしろにはできないと思うのです。意思決定の歴史はまだまだ連綿と続いているのはないでしょうか。
「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」は、今後もこのような覚悟を胸に秘め、いただいた機会をひとつひとつ丁寧に、たくさんの想いや意見に耳を傾けながら皆さまのお役に立つべく、さらに邁進して参ります。
集まりis USEFUL FOR OUR SOCIETY,SO WHAT DO WE DO ?
今年もよろしくお願い申し上げます。
2019年1月10日
二宮彩乃
追記)
代表二宮のブログ(https://note.com/ardr_ccd/n/n7c6dce09c2a4)に、下記の内容が追加されました。
・なぜ、「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」を始めたのか
・なぜ今、これらが必要なのか
・数年先、どのようなビジョンをもっているのか
「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」についてさらに補完する内容となっております。
よろしければ、ぜひご覧くださいませ。