うみやまのあいだ、
あめつちのからだ
“正しく清くはたらく人は、ひとつの確かな芸術を時間の後ろにつくるのです”
宮沢賢治

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愛犬家の論述3
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親近
学生時代ぶりに、志賀直哉を手にとる。 短編集。子どもだの生きものだの。 改めて、自分の文体と観察対象との距離に近しいものを感じ、 また好きになる。 中勘助も好きなんだ。

愛犬家の論述2
前作→ 愛犬家の論述 | うみやまのあいだ、あめつちのからだ (umiyama-ametsuchi.com) 問.犬は群生動物と言われていますが、どういう風に“群生動物”と用語を理解していますか。 群生

スズメバチ
アブラゼミのからだを食らうスズメバチ。 肉食であり、刺されればともすると人間の私さえ命が危うい。 今だって、撮影している私のそばで他の数羽がブンブンと唸りながら飛びまわっている。 それでも私は目を離せない。
信心
動物行動学や行動分析学(そして副次的に動物福祉か)を修めようと あらゆる書籍や文献・資料に触れているとこれらの言葉が気になって来る。 心 畜生 家畜 畜生道 害虫・害獣 雑草 病原菌 など。 ※参考 ・角川


本寺川
5年前に手がけたプロジェクトの写真集をつくると思う。 それから、私の目線は並行して うみやまのあいだのまつりごとなる灌漑にも注がれると思う。 なだらかに水は流れる。田から田へ。

ハクビシン
今に始まったことではないが、私の寝床がある部屋の壁の中には獣の何某が住んでいる。 外壁と内壁の間、天井、床下その他。それはもう縦横無尽に動き回るのだ。 夜行性なのだろう、決まって 私が床につく頃合いになると、彼(や彼女)
「変わらなくてもいい生活」。
衣食住の多くを、山川海、水と土と植物から得てきた私の祖先の生活は
人の世がどう変わろうと、ゆらぐことなく脈々とつづく。
生活の「せ」の字もまともにしてこなかった人間だが、3.11とコロナ禍を経て
私も祖父母や先代のように「変わらなくてもいい生活」を送りたいと思った。
あらゆる共同体、あらゆる社会が私を何者と規定しようが執着はない。ただ、
自分のからだをどこに置くか、その世界(観)や生き方だけは私が決めたい。
人々の間から、うみやまのあいだのからだのわたしへ。
遅々として進まぬ速度も私らしくていいのだろう。
思いつくまま記録する。


MESSAGE
はじめまして。ウェブサイトをご覧いただき、どうもありがとうございます。
「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」代表の二宮彩乃と申します。
平成が終わり、令和という新たな時代が始まりました。昭和・平成という変化に富んだ激動の時代を経て、令和という時代がどのような軌跡をたどるのか。この答えをすべて的確に言い当てることができる予言者は地球上どこにもいないでしょうが、それぞれの視点から「こういう時代になっていったらいいな」という動きは大小問わずあちこちで始まっているように思います。そういった〈ねがいの形〉の積み重ねによって私たちの世界はこれまで創られてきたのだろうと想像すると、〈ねがい〉という行為やその言葉は、現実にしっかと根ざしたとてつもなく大きな力のように感じられます。
さて。では、「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」のねがいの形は、どのような実を結んでいくのでしょうか。
先日読んだ本では、これからは「確かなものの時代」から「形のない時代」への転換期になるとともに、これまでの「協調性や秩序を守ることの大切さを説く時代」から「今までの価値観を完全に捨てて、個人が自由な発想をすることが重要になる時代」になると書かれており、始動2年目の「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」にとっては、願ったり叶ったりの時代の訪れだと思われ、吉兆の知らせのようでした。
「形のない時代」とは何でしょうか。
物質に依らないということでしょうか。それに代わる“何か”重要なこと・ものが顕れるのでしょうか。
「今までの価値観を完全に捨てて、個人が自由な発想をすることが重要になる時代」とは何でしょうか。
どういった機会があれば、近い将来そこへと至ることができるのでしょうか。
“ 「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」は、HUMAN ENGAGEDをコンセプトとした〈ことば〉と〈こと・ば〉のコンテンツをつくります。”
“こと・ばのコンテンツ ―― つまり、アクティブラーニング/ワークショップ/ドラマラーニングといったコンテンツをつくります”
これは私たちの理念であり、存在を意義づける根幹のことばですが、私たちは、私たちの武器である〈こと・ばのコンテンツ〉の中にこそ、「形のない時代」「個人が自由な発想をすることが重要になる時代」の光を見出しています。
とはいえ〈こと・ばのコンテンツ〉やその類はまだまだ認知度が低いですし、さらに言えば、ご依頼によってさまざまな形で応えていくので、一見すると内容が一貫しておらず、よく言えば多様な、斜に構えれば煩雑に見えるため、いまいち掴みかねる印象をもたれている方も多いかもしれません。
しかしながら、「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」が見つめているものはいたってシンプルです。
「人が集まる」ということ、その現象そのものがもつ大いなる可能性を信じている。その一言に尽きます。だからこそ、その潜在的能力を最大限に生かしたい。そのための最良の選択をいつでも用意しておきたい。この想いを実現するためのスキルが、私たちにとってはワークショップや体験型プロジェクトのコンテンツづくりであったのです。
SNSやインターネット、AIの進歩によって、人の身体を介在させずともあらゆることが実行可能になった現代において、“集まり”に光を見出すとは時代錯誤なことを…というご意見もあるかもしれません。
ですが、「みんなで考える術」「みんなで決定する術」「みんなでつくる術」「みんなで発展させる術」といった行為が今すぐ必要でなくなるとは思えないですし、さらに言えば、よりいっそう価値観が多様化している現代において、「みんな」とひとまとめにされる人々が一概だとは限りません。だからこそ、今なおたゆまぬ努力として、これらの“術”を育て、磨き上げることも決してないがしろにはできないと思うのです。意思決定の歴史はまだまだ連綿と続いているのはないでしょうか。
「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」は、今後もこのような覚悟を胸に秘め、いただいた機会をひとつひとつ丁寧に、たくさんの想いや意見に耳を傾けながら皆さまのお役に立つべく、さらに邁進して参ります。
集まりis USEFUL FOR OUR SOCIETY,SO WHAT DO WE DO ?
今年もよろしくお願い申し上げます。
2019年1月10日
二宮彩乃
追記)
代表二宮のブログ(https://note.com/ardr_ccd/n/n7c6dce09c2a4)に、下記の内容が追加されました。
・なぜ、「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」を始めたのか
・なぜ今、これらが必要なのか
・数年先、どのようなビジョンをもっているのか
「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」についてさらに補完する内容となっております。
よろしければ、ぜひご覧くださいませ。