ししゃもの弔い -2

あれからほぼ毎日ししゃもを食べている。朝昼晩、ご飯にみそ汁をそえ、納豆、卵、それからししゃも。そこに漬け物や、思いつきの和え物で少しだけ色を足す。私の料理の腕が平凡なことと、味付けの発想の乏しさから結局いつも同じような献立になってしまうのだがまあ独り暮らしであるし、腹は満たされるからそれでいいと思っている。

ししゃもは塩をふって、フライパンで火を通す。柄にもなく「ししゃも レシピ」で検索をかけてみたが結局どれもやらなかった。おしゃれに食いたいわけではなく、とにかく旨く食べたいのだとゆずらなかった結果、それなら塩焼きが一番うまかろうと思ったからだ。欲を言えば子持ちししゃもがよかったと時々頭をよぎるのだが、小指の大きさほどで、中には身より骨の方が多いような微力な個体である。このからだで私の腹を膨らせてくれることに有り難さを感じたい。

肝心なこと、つまり具合のいいししゃもの焼き方については調べていないので火加減、焼き加減は試行錯誤を繰り返している。二度ほど、アルミホイルに並べて電子レンジのグリル機能で火を通してみたりもした。十分に火が通っているのはいいなと思った。けれどししゃもの皮がびたっとアルミホイルにくっついてしまって、皿にうつすときにばらばらにくずれてしまうのを避けられない。そのたびに、ああごめん、と頭だけにしまったししゃもに謝るのである。電子レンジに入れてしまえばその間、別のことが出来るので楽といえば楽なのであるが、ししゃもに対して不義であった。何より私は以前ほど時間に追われていないから、私の時間をそっくりそのままししゃもの為の時間にしたっていいのである。そう気が付いてからは、ししゃもと向き合い、色や匂いなどと会話をしながらそばを離れずにいる。それでまた失敗してしまっても、電子レンジのときほどは罪悪感が生まれないから不思議である。まあ会話をしながら、というのは格好をつけた言葉選びをしてみたわけだが。

今日の朝飯も同じく、ししゃもから始まる一日だ。だがその前に、毎朝の日課である自宅の庭の散策をする。相棒は犬 ―名をイナサという― である。庭を散策なんて大げさなことを…と思われるかもしれないが、この家の庭はちょっとした雑木林と化しているため事実「散策」なのである。曾祖父が壮年の頃から暮らし始めたこの古家は、まもなく一一〇才にさしかかる。ところがここ十年以上は誰も住んでいなかった。それぞれの家庭や仕事の事情で家族があちこちに散らばったのである。そのため以前はそれなりに庭園の体を保っていたこの庭はいつしか野生に戻り、鳥や獣の落とし物によりさらに多くの植物たちが繁茂した。そのため比較的市街地の中心部に位置しているにもかかわらず、ここには鳥の声はすれど町の喧噪は届かない。そこに、私が転がりこんだというわけだ。雑木林付き古家の留守預かり番である。

両親や親戚は、蔓に覆われまるで廃墟のようになったこの家に住むことに最初こそ反対した。が、そもそもは祖父の実家であるわけだし、仏壇もここにあるわけだから、男やもめの半人前であれ家の管理をする人間が一人でもあるのはありがたいと思い直したようだった。私からすれば中学校にあがる前まではここに住んでいたから愛着もあった。

そういうわけで今朝も課された役割を全うすべく、イナサとともに散策をはじめる。それなりに自然のままだが、人間にやさしい野生である。数十年にわたり家族の誰かしらは歩いていたのでそこには自ずと道らしきものができていて、だから寝ぼけにつっかけ姿の私であっても難なく歩くことができるのだ。

イナサが前を歩く。秋口の朝の冷え込みに身震いし、もう薄着で寝るのをやめにしなければとひとりごちながらのろのろと歩く私が後に続く。イナサはちらりちらりとこちらを振り返り、私のことばを待っている。これも朝の約束事。

「いいよ、行っといで」

そう言うや否や、イナサは自分の名を体するように風のように走って行った。姿はすぐに見えなくなるが、そうは言っても柵や塀、芝垣に囲われた野生である。移り住んだときに十分頑丈に補強もした。必ず声が届くところにいるだろう。

ところがしばらくすると、家の裏の方でがさがさがさっと音が聞こえてきた。何か気になるものやその匂いに出会ってしまったらしい。名前を呼ぶが珍しく戻ってこない。鳥の死骸や野良猫の糞であったらたまらない。あげく、興奮して吠える声も聞こえてきた。腹が減ったが仕方がない。主の務めとして様子を見に行くことにした。

 

頭上でバサバサッと音がして何かの鳥が飛び去った。ヤマバトだろうか。イナサがいつまでも吠え立てるので身を固くして潜んでいたのだろうが、そこに人間の私も踏み込んだとなっては逃げるよりほかはない。無論私は家の裏で大騒ぎしているイナサに用があるのであって、ヤマバトやその子らに危害を加えるつもりなど毛頭ないのだが、誤解をとくための言葉も手立ても持ち合わせていないので、せめて首だけは下げて羽音の真下を通りすぎる。

私が近づく気配を感じたのか、イナサはことさらに精を出し、けたたましく吠えまくる。いったい何に気をとられているのだろう。熱心に地面を嗅ぎまわる程度のご執心ならこれまで何度もあったし、ここは野生の庭であるから何が通っていてもおかしくはない。けれど今のイナサは好奇心と興奮が抑えきれずにひっきりなしに騒いでいる。壮年にさしかかり、年々何事にも動じなくなってきたイナサがこれほど吠え続けるのも珍しい。

イナサがいるのは、どうやら洋室の裏であった。石造りの洋室の外壁と、今は誰も住んでいない隣家を囲む石塀とのあいだには人間の身幅がぎりぎり通れるくらいの隙間がかろうじてある。身軽な四本足なら難なく駆けられるが、私のような、背ばかりが高い二本足にはやや億劫だ。地べたはじめじめとし、肌感覚では何となく厭わしい。が、こんなことでもない限り、ここを通ることもないだろうと思い直して覚悟を決めて足を踏み入れる。

見ようとして見れば、ここは日陰を好むに生物にとっては天国のようだった。普段は見かけない種類の植物がちらほらと生えている。菌類にとっても格好の生息地のようだ。キノコ採りを生業にしている友人に見せたらどう言うだろうか。意外と宝の山かもしれない。彼に乞うて、あとでじっくり狭所探索するのもいいなァと呑気な考えもよぎったが、けれども今はそれどころではない。やかましいイナサの元に一刻も早く行かなければ。

悪路に顔をしかめながら進むにつれ、イナサの尾がぶんぶんと風を切る音が聞こえてきた。味方がまもなく合流するとでも思ったのが、イナサの声色も少しずつ変化する。それまでは対象物に対して懸命に吠え立てるだけだったが、次第に、主である私に何か教えるような高い声になった。あるいは、「あれとって」と甘えているかだ。人間同士の会話ほど明確な情報伝達ではないが、聞く限りでは危険なものを見つけたというより、楽しさが上回っているようである。

いずれにせよ、見ないことに何も言えないし、あわよくば只の子ネズミであってくれと願う。朝から未知の某かに思いがけずして対峙することになったので心構えが全く追いついていない。だから、例えばそれがマムシであったりしたら、イナサには悪いが私はそそくさと逃げよう。それで遠くから一生懸命にイナサの名を呼び、そいつは遊び相手ではないのだと教えてやらなければならない。ここまで来て私は、裸足につっかけ姿の己の無防備さを恨んでいる。

ギボウシの大きな株を踏みこえ、石塀からはみ出る枯れ枝を振り払い潜るようにしてようやく対面したイナサはすっかり野良犬のようであった。鼻先と前足は泥だらけで、興奮のあまりよだれでむちゃくちゃになり、からだ中にたくさんの葉っぱをつけていた。普段の知的な容姿は見る影もない。家にあげる前に洗わなくては…。苦笑した私の表情をほほえみだと理解したのか、目が合うや否やイナサはワンと一吠えしてその場を私に譲った。堂々としている。いい仕事をしたと思っているらしい。

得意顔で「奴ならここにいますよ」と言わんばかりの視線の先は洋室の外壁だった。主らしく引き受けてはみたものの、見当もつかない。よくわからぬまま石壁にそって一、二歩踏み出してみる。すると、足元に四角くくり貫かれた穴を見つけた。ミズヒキの茂みに覆われていて遠目からは気づかないのだが、ちょうど文庫本を二冊並べたくらいの大きさがある。屈んで確認してみると、穴の入り口には太い針金のようなものが四、五本貫通させてあった。けれども経年して劣化したのだろう、猫や小動物が通り抜けたとおりに歪曲しており、見るからに名ばかりの猫避けだった。

イナサの獲物はどうやらこの中に逃れていったのだと合点し、どれどれと両手を地面についてさらに中の様子を覗きこむ。イナサはすっかり吠えやんで、私の背後から様子を窺うばかりだ。頼ってくれるのはありがたいが、寝起きにはなかなか堪える体勢である。

穴の中はずいぶん広く奥行きがあるようだった。考えてみれば意外でもなんでもない。真上に位置する洋室は、かつて客間として使われていたというだけあって、八畳二間分は十分にある広さだ。ということはこの暗闇もちょうどその面積分広がっているということになる。大正八年に当時の流行に先んじて建てられたというこの古家は、この洋室を除けば昔ながらの日本家屋だ。ということはひょっとすると、この床下世界は南側の和室の縁下まで続いていることだってあり得るわけだ。暗闇で塗りたくられた未知の間取りに興がそそられる。

この古家の奥行きの分だけ、闇はどこまでも限りなく深い。肝心の生き物は私には見つけられなかった。四角い穴から射し込むわずかな光だけでは、人間の目しかもたぬ私ではどう足掻いても不利である。どういう意図があって、イナサが私にこの場所を譲ったのかは不明だが、全くお役に立てそうにない。せめて音だけでもたててくれたらと思い息を潜めてみたのだが、闇の向こうではあちらさんだって必死である。まして音を立てるなど!ぎょろりと覗く人間の両眼を目の前にして、そのような迂闊なことなどするわけがない。

私は早くも諦めた。慣れない体勢に私の首が限界だった。

「おーい。何もしないよ。」

と口先だけでぼそぼそ言って、そそくさと立ち上がる。

さて、これからどうするか。イナサを連れ出して、今日の庭散策はもう終いにしたいところだが、イナサは再び顔半分を穴の中につっこみ、優秀なる鼻を土にスンスンと押し当てて、闇の中の空気を二三度深くとりこんでいる。それからぴんと尻を高くあげ、しっぽをぱたぱたさせているところを見れば、どうやら相手はまだ闇の向こうに潜んでいるらしい。

好奇心で弾けるイナサの尻と時々小躍りするしっぽを眺めながら、私は今日の予定を組み立て直す。泥くさくなったイナサを洗わないと家には入れてやれない。それでだいたい一~二時間はとられるだろう。午後、人に会う用があるのでそれまでにいろいろ済ませたかったが、その全てをこなすのは無理だ。犬飼いであるから元より苦ではないのだが、想定していなかった分、面倒である。でもまあ仕方がない。

私は頭を切り替えて、イナサの名を呼んだ。私の逡巡などお構いなしに、こちらを振り向くイナサ。舌を長くのばし、満面の笑顔をして顔中にミズヒキの小さな紅色の花をつけている。いや、顔だけではない。よだれと泥が接着剤となって、胸、前足、爪の間まで愛らしい小花模様になっていた。犬を汚したくない飼い主であれば卒倒しそうな汚さである。犬らしい愛おしさと、さらに逃れられぬ犬洗いの面倒くささがあいまって複雑な気持ちになり、私はつい笑った。

その時である。

イナサの足下の穴から、黒いかたまりが飛び出して、あっという間に私たちの視界から消え去った。イナサの注意がたったの一瞬私の方に逸れた、その隙を見逃さなかったのだ。私もイナサもすっかり虚をつかれ、私は「おぁ」と間抜けな声を出すだけだったし、イナサも吠え忘れて呆然としていた。

ハクビシンだったのか、野良猫だったのか。それくらいの大きさがあったようにも見えたし、一回り小さいようにも見えた。何しろあまりにも突然だったので、状況を認識する間もなくいなくなったのである。マンガなどでよく見る効果音「びゅん」という黒文字がそのまま顕れたようにさえ思えた。今頃になって、私の横でイナサがワンというが負け惜しみのようで格好が悪い。

いったいぜんたい、何か大事(おおごと)に立ち会ってしまったような気になって、まだ朝も早いというのに疲れてしまった。イナサもぶるんぶるんとからだをふって、これまでの緊張をとく。おかげで半ば逆立っていた毛も元通りになり、ミズヒキの紅花もほとんど飛んでいってくれた。

空腹だ。朝飯を食って、今日を始めることにする。

 

 

ししゃもの弔い -2