蜂の指輪

蜂の指輪

歩く私の少しの振動。その振動がコンクリートに伝うが早く、路傍の猫じゃらしからわっと雀たちが飛び立つ季節になった。夏頃までは、若草色をしたマヒワの群れをよく見かけたが、秋の入口の今時は、雀の群ればかりが目に入る。猫じゃらしの穂花で腹を満たして冬に備えるのだろう。

わが家の老犬は死んで妖精になったようだ。

いくら探しても見つからなかった母の指輪が突然見つかった。どこにあったのかと問えば、アクセサリーケースの中だと答える。蜂を象った指輪で、羽根や躰、目の部分にルビーが埋め込まれている。一度見たら見落としようのないデザインだし、あるべきところに見当たらないから探していたというのに、突然、あるべきところに現れたのだ。数年もの間、物探しの達人である母(私には遺伝しなかった)の目をかいくぐって一体どこに潜んでいたのか。反芻すれど不思議なことだ。

ははあ、ブンが見つけてきたな。と私は思った。超常現象でも何でもなく、ただの自然現象として。

死を受け入れるために人はそれぞれに物語をつくるのだと思う。大震災での多くの死にもきっとそれぞれ物語がつくられている筈だ。死がある限り、個人の信仰や世界観、大げさに言えば宗教の共有も決してなくなることはないだろう。

小さな犬の小さな死にさえ、小さな物語をこさえる人間がいるのだから。

 

九月四日

蜂の指輪