うみやまのあいだのひとしずく⑩

ひとしずくは、これからどこへ向かおうかしらと考えていました。好奇心やそのエネルギーは、泉のようにとめどなく、滾々と内から湧き溢れてきます。しかし、それらの力を向ける先がまだ定まらぬがために、ひとしずくは葉の縁につかまりながら曲芸のようにからだをゆらして落ち着かずにいるのでした。こうしているうちに誤って葉から落ちてしまったとしても、今のひとしずくであれば、そこらに生えた植物の葉から葉へ、木琴をならすようにして弾みながら、自分の心の赴くままにどこへなりとも行けるでしょう。

けれど、ひとしずくが考え悩んでいたのは、行き先がどこかというよりも、まさにそれがわからないからなのでした。

(どこへでもいけるって、どういうことなんだろう。)

ひとしずくは思いました。果てしもない選択肢のなかから、自分のための一択を選ぶとなると、楽しさよりも難しさの方が勝ります。自分の努力によってとはいえ、その機会が突然舞いこんできたものですから、ひとしずくはいっそう戸惑っていました。それは「自由」という概念にちがいないのですが、そうかといって、それを教えたところで、なんの糧にもなりません。しかし、そのうち必ず、これが何と呼ばれるものなのかをひとしずくは身を以て知るのでしょう。幸せもののひとしずくの旅は、今から始まるのですから。

ひとしずくは、ぷらぷらとさせていたからだに勢いをつけると、軽くなったからだをひょいと持ち上げ、クマザサの葉の上にあがりました。そこは、クマザサの茎のすぐそば、葉の付け根のあたりでした。雪の結晶だったころ、葉の先の、陽当たりのいいばしょにいたことをふまえれば、ずいぶんと奥まではこばれたものです。

ひとしずくは、これからどこへ行くのでしょう。大きい意味での最終目的地をどこにするのか、それについては、ひとしずくはまだ何ひとつ決めていませんでした。けれど、ひとしずくには行きたいばしょがありました。一生涯を懸けるような大きな目的はさておき、まずは小さい自分にとって、今いちばん意味のあるところへ行きたい、と思ったのです。

ひとしずくがまず向かった先、それは、彼自身が生まれたばしょでした。人間のものさしではかれば、たった十五センチメートルにも満たない旅ですが、ひとしずくにとっては、大事な大事な旅でした。自分が生まれた場所から何が見えるか、自分が見逃してしまったことは何か、それを確かめたかったのです。どこかへ旅立つにしても、まずはそこから始めたい。それが、ひとしずくにとっての誠実さでした。

ひとしずくは、クマザサの葉の上をよっちよっちとしかし一所懸命に進みます。この愛おしい歩みといったら、カタツムリよりは少しだけ速く、働きアリよりはずいぶん遅い、といった風でした。

葉緑の粒たちはもっとも忙しいときは過ぎたと見えて、ずいぶんお行儀よく並んでいました。時折、陽光を口にふくんでもぐもぐさせていることもありましたが、多くは先ほどのお祭り騒ぎの余韻にひたってまどろんでいるようでした。ひとしずくはこれ幸いとばかりに、彼らを起こさぬよう気をつけながら歩を進めていましたが、ほんの一粒の小さな水滴では彼らのからだをかすかになでるようなものでしたから、心配するほどでもないのでした。

若々しい太陽もまた、空の弧の頂きをめざしてぐんぐんとのぼり続けていました。森の木々を真上から照らし、まだ肌寒さがのこる仄暗い影を、少しずつ自身の光でぬりかえていきました。