うみやまのあいだのひとしずく⑪

ひとしずくにとっての初めての旅、クマザサの葉影の奥から葉の先をめざす旅は、思っていた以上に険しい道のりでした。ただでさえ、からだの動かし方をああでもないこうでもないと挑みながら進まなくてはなりません。加えて、私たちから見れば手のひらに収まるほどの距離ですが、ひとしずくにとっては、そそりたつ急峰を登るに等しかったのです。

とはいえ、その道程はひとしずくにとって、これまでの中で、もっとも楽しい時間でした。上へのぼるという行為が、自分のからだに課す試練、その重みをひとしずくは十分すぎるほどわかっていましたが、またこうしてこの道を選択するだけの理由が決然としてあるのです。

高い方へとのぼっていくにつれ、見えてくる景色が広がっていくのは何とも言えぬ快感でした。その興奮は活力になり、さらに上へ上へとひとしずくを押し上げてくれます。ひとしずくが自分のからだひとつ分だけ進めば、視界は十倍に広がり、からだふたつ分だけ進めば、視界は百倍に広がりました。もちろん、ひとしずくにとって、からだひとつ分という距離を進むことは、決して容易なことではありません。ずいぶん時間はかかりました。けれどもそのために、ひとしずくは十分すぎるほどゆっくり時間をかけて、自分が生まれた森についてさまざまな知を得ることができました。例えば、森の中にはまだちらほらと灰色の雪が残っていました。それらの残雪は、樹の根元や葉のかげ、土の上などの影深いところにいまだじっと蹲っていました。けれど、そのうちあの雪の兄弟たちも自分たちと同じように橙色の光によって溶かされるのだということを観察することができました。遠くの梢からまさに今滴り落ちようとする一滴も見かけました。ひとしずくは思わず、その先を見届けたい衝動に駆られましたが、その続きをここから知るのはずるいような気がしてやめました。新たな発見はまだまだたくさんありました。クマザサの茎をのぼる六本足の虫にも出会いました。自分と同じくらい軽そうなからだですいすいと直立にのぼっていくそのアリは、巣に持ちかえる餌を探し歩いているのでした。八本足の虫が歩いているのも見えました。迫力ある様相に驚いていると、眼下の朽葉ががさごそと動き、そこからムカデが出てきましたので、ひとしずくはいっそう目を見張るのでした。羽のある虫もおり、上の方のクマザサの葉に止まったかと思うと、前部の二本をもちあげて互いにこすり合わせるようにし、またどこかへ飛んで行きました。ひとしずくが話しかけてみたくてたまらなかったその虫は、ハエでした。今やるべきことを終えたら、きっと次はあの虫と話をするんだ、とひとしずくは思いました。

ひとしずくの最小の眼から見て、この森の中で一番動的で生き生きと感じられるのは、こういった虫たちの営みでした。彼らは本当にどこにでもいて、絶えず動き回り、それぞれの種の保存に忙しくしていました。ひとしずくは目の高さが自分と同じであるそれらの生物に対してとても親近感をもっていましたが、それ以上に、なぜだか無性にあこがれがあり、彼らの生活や日々考えていることなどを、出来るだけたくさん知りたいと願うのでした。

時折、ひとしずくは立ち止まって休憩することもありました。すると、自分の息遣いの間に間に水が透るような、懐かしい響きが聞こえてきます。それは、まだ雪の結晶であったとき、優しく温かな橙色の光に見守られながら耳を澄まして聞いていた、春の雪解けの音なのでした。

この葉をのぼりきったら、ぼくたちを溶かした光熱の源に会えるのかしら。ふと、ひとしずくは思いました。というのも、ひとしずくが知っているのは橙色の陽光そのもので、その温かさや眩しさは知ってこそすれ、その正体が、太陽であるとはまだ知らなかったのです。それでも、降りそそぐからには、それは自分のずっと頭上にあるのだろうということは予想していましたし、知った限りでは、その光や熱はこの森のすべてのものにとって平等に力を与え、時にはひとしずくのときがそうであったように、この森のすべてのものに大きな変化をもたらす偉大なもののようでした。この頂きについたら、きっと、ついにぼくも、それを目の当たりにできるのだ。そう気が付いたひとしずくは、心が一気にときめきました。けれどもすぐに、からだをこわばらせ、また悩ましげな様子になりました。なぜって、このときのひとしずくは、この光熱の正体を、光り輝く巨大な虫や、光の葉をたくさん茂らせた大樹のようなものだと想像していたので、何と話しかければいいのか、その用意をしなければならないと思い、緊張してしまったのです。そうです、ひとしずくは、自分の頭上に広がるクマザサの葉のそのまた上に、空や浮かぶ雲、夜の星や月があることさえ、まだ何も知りませんでした。

新たな目的がふえたひとしずくは、ひときわ一身に、自分の生まれたばしょへといそぎました。このごろでは、からだの動かし方にもずいぶん慣れ、さらに揚々と意気込んでいました。今や、自分にとってのはじまりのばしょからすべてを刮目することが、ひとしずくの使命であり、生き甲斐でした。

そうしてついに、太陽が中点に射しかかるころ、ひとしずくのからだは、自分が生まれたばしょに到着するのです。