うみやまのあいだのひとしずく⑫

ところがです。さいごの一歩を踏み出したところで、思いがけないことが起こりました。

クマザサの葉をのぼりきったとき、その頂きにてひとしずくを真正面から出迎えたのは、太陽でした。

雲ひとつなく、上空をばたつかせる風たちも休息をとっている時分でした。太陽はひとり、紺碧色の大舞台を大またでぐんぐん闊歩していましたが、そのときちらりと、砂粒ほど小さく、星屑ほどか弱い光が自分に届いたように感じ、ほんの一瞬、足を止めたのです。それは、地上の生物はだれも気が付けぬような、観測すら不能なほどの未踏の一瞬でありましたが、太陽はその間ずいぶん時間をかけて、その光の源が何であったのか、目をかっとひらいて探すのでした。すると、ある大きな森のさらに奥の奥から、自分に向けて、光をまっすぐ投げかけてくる小さな何かがいるではありませんか。太陽は、面白いこともあるものだと思い、その存在をじっくり見つめることしばし、そこには細長い葉の上を一心にのぼってくるひとしずくがいるのでした。太陽は、地上に星などあったろうかとまた時間をかけてしばらくひとしずくを眺めていましたが、それが、春の日の水滴の一粒であり、その一滴が、自分の陽光をただ偶然照り返していただけのことだとわかると、また己の軌道に戻ってゆきました。

一方、ひとしずくは葉の頂きを前にして、早くも悦びに打ち震えていました。ついに、何にも蔽われることなく、この森のすべてを、世界を見ることができるのだという期待だけがひとしずくいっぱいに満ちていました。ですので、このあと、自分の身に何が起こるかなど、自分のために太陽が待ち受けていることなど、全く以て予想できなかったのです。

次の瞬間、頂きにからだをのりあげた直後、ひとしずくは太陽の光、真っ白く強い光線に包まれて何も見えなくなりました。そのあまりの眩しさにひとしずくは思わず目を瞑ってしまったのですが、その圧倒的な光はひとしずくのまぶたの裏まで侵すほどだったので、その明るさによって、自分が目を瞑っていることに始めは気が付かないほどでした。ひとしずくが見たいと願っていた初めて対峙する太陽は、彼が想定していた力強さを優に凌いで、ただただ圧倒的だったのです。それでも、ひとしずくは光のさなかにあって、努めて目を開いていました。けれども、どこをどのように振り返っても、そこはただただ光であり、自分のからだとまわりの境目は全くわかりませんでした。圧倒的な光に呑まれ、何もできないでいる。このことはひとしずくをいささか慌てさせました。光に縋ろうにも手は見えず、光に足をつけようにも足は見えず、果てはこの光は自分のからだの内にまで入りこんでいる。唯一鮮鋭であるのは、光に包まれているあいだもとめどなく流れている自分の思考が、必ず自分の内から生まれ、そして自分のもとにかえってくる、そのような実感だけでした。

はじめこそ慌てこそすれ、この実感は、ひとしずくの心をずいぶん安心させました。あいかわらず、自分の内も外も光に閉ざされていましたが、その中心に自分が在るとさえわかれば何のこわさも感じませんでした。それどころか、ひとしずくはその光に自分の体温さえも感じていました。雪の結晶であったころ、兄弟たちの青白いからだをすかして届いたあの温かな優しい光が、今自分の内にありました。

ひとしずくは、改めて今、自分がはじまりのばしょにいるのだと感じていました。生まれたばかりのころ、朝陽とクマザサの熱とに抱かれ、夢心地でいたときのことを思い出していました。何に揉まれることもなく、ただぷかぷかとしていたときの自分は、ずいぶん前の、誰か別のひとしずくのようにさえ感じられました。

(ぼく、幸せだな。)

自然と、ひとしずくの中にこんなことばが浮かびました。あのときの自分もずいぶん幸せを感じていたけれど、今の幸せとはちょっとちがう、とも思いました。そして、今の幸せの方が、ちょっとだけ心に贅沢なことも、ひとしずくはとうに知っていました。