己の非力

曾祖母のからむしの白さに至るにはどうすればいいのか。

その答えは案外簡単に解けた。

私にとっては、何とも恰好のつかない答え。

 

祖母が手がけたからむしも、曾祖母ほどではないにしろ、白に近しい美しい仕上がりになった。

どうやったのと問えば、ただ「力」だという。

私は恥ずかしくなった。祖母は八十を過ぎているが、こちとらまだ三十半ばである。

パソコンやペンを仕事にしていることを言い訳にしてもいいだろうか。

たまに持つ重いものといったら、2リットルのペットボトルや数キロのお米、10キロのドッグフード。

 

先日、祖母と一緒につくったそば。

途中、生地を半分にして私と祖母とそれぞれにこねたのだが、

同じ時間手をかけていたはずなのに、祖母のは程よくかたくコシがあった。

だけど、私の生地はまだまだやわらかかった。力が足りなかったンだなは、とここでも言われた。

きっと、腕の力ではないのだ。肚の力。農を仕事としている人の身体の使い方。

己の非力を恥じる感覚は、初めてだった。

 

曾祖母の白いからむしに触れる。

祖母のからむしと比べると、白いだけでなく、やわらかくてしなりがあり、結んでも尚丈夫そうである。

力を加えて繊維をきれいにはぎ取り白くしたあと、やはり何かしら手を加えているのでは?

またなぞなぞだ。

白いからむしにまた触れる。

何だか心が落ち着く。

からむしに限らず、これから私が向かう先の生活。

その目標が今目の前に具体となって現れて、私を待ち受けている感覚がするから。