からむし三代

曾祖母と、祖父母と、私のからむしを並べ、思った。

私がやったからむしは、「売り物」にならない。

 

昨年、思い立ってからむしを始めた。

特に何かをつくりたいというのではなくただ、祖父母の集落では当たり前だったこと、

からむしを生かし生かされる生活をもっとちゃんと知りたいという一心で。

とはいえ、祖父母はからむしをやっていた代ではない。

私の曾祖母がこの集落でからむしをやっていた最後の一人というのだから。

それで思い出して、曾祖母が手がけたというからむしを変わり者の孫にくれたのだ。

 

夏の土用の時期に刈りとったからむし。

枝や節々をとり、川に一晩つけ、翌日皮をはいで、さらに刃で繊維だけをとる。

同じ作業をやっているはずなのに、曾祖母のからむしは繊維が美しく白いのに対し、私のからむしは繊維以外の部分が多く残り見た目にも汚い。

 

祖父母とともに、どうしてこんなに白いのだろうと言葉をかわした。

お湯につけたのでは?とか、蒸したんじゃないかとか、皮はぎの前後の工程に記憶を遡らすも、判然としない。

手がけている者がいないのだからどうしたって、記憶には穴ができる。これは仕方がないことだ。

 

からむしで腰にまく籠や、草鞋をつくったという話は聞いた。

けれど、からむしの繊維そのままの丈夫な糸としても、売ることができたという。

今でいう、金物屋とかそういう小さな道具問屋に買い取ってもらうのだ。

引っ張ってもちぎれず、藁紐よりも丈夫だから、割に需要はあったらしい。

道具の修復などにも使えたのかもしれない。

もちろん今では、ホームセンターのプラスチックひもやワイヤーなどに代わってしまったわけだけれど。

 

それで、私だって丈夫な繊維づくりから始めればそれだって一つの成果になるのではと思ったわけだが、

こうして三代のからむしを並べて愕然としている。

 

当時、曾祖母が若かった時代であれば、彼女の白いからむしは妥当な価値(お金)と交換できるだろう。

一方の私のからむし、

びた一文たりとももらえない仕事。クズ、にさえなり得る。「もったいない」

 

経験不足、力不足。いや、それもあるだろうそうではない。

生活の覚悟の前提が圧倒的に違うと思った。