「私たち」へ _あとがき

祖母がうってくれるおそばがこの世で一番うまい。

この気持ちは、物心がついたときから今の今までまったく変わっておらず、

この先もずっとそう思いたい。

だけど、祖母も祖父も八十をとうに過ぎている。きっといつか、必ず別れがやってくる。

 

祖母のそばは、真の意味で、まっとうにオリジナルである。

集落のそば畑からとれたそばの実を、陽にさらして乾かし、粉にし、保存する。

お湯と水、塩を加えただけのシンプルなおそば。

ゆで上がったそばは、山の小川からひいた清水でそそぐ。

家族の誰からか教わったのだと思っていたのだが、そうではないという。

ただ、幼い頃、祖母の祖母(私のひいひいばあちゃん)がそばをうつのを近くで見ていただけなのだと。

小さかったから、やる機会がなかったんンだナ。

めん棒でそば生地を手際よくのばしながら、そんなことを言っていた。

 

私がこれからもおそばを食べてもらいたい人。

父。母。二人の弟。弟たちにいつかできるであろう家族。

私。私にもいつかできるであろう家族。

親しき人々。

 

私の手が届く範囲の「私たち」は、せいぜいこれくらい。

意識が隅までゆきとどく、小さき主語の私たち。

 

「私たち」へ

おそば、届きましたか。どうぞ美味しくたべてください。

そして来年もまた、届けられますように。

 

毎年こういう手紙を書き結ぶのが、今の私の夢である。

「私たち」へ _あとがき