今年のお彼岸は岩手にいないからということで、早めの墓参りに行った。
というのもその日は、弟が結納するのである。
年々親しい友人のような関係になっていたが、お嫁さんを紹介されたとき
ああそうか。弟は弟で、もう一つの家族をつくっていくのだなと合点し、
同じ幹をもつ遠くの枝葉を見つめるような気持ちになったものだ。
今日の墓参りは、私と母の二人だけだった。
あたりに散らかった杉の枯葉を脇に寄せ、花を生け、石に水をかけてやり、それから線香。
線香は、誰が来ようが来まいが、私たちは必ずきっちり5本立てることにしている。
母と私それぞれの分、仕事で来られなかった父の分、二人の弟の分。
使い切る寸前の線香の残り数本を箱の隅に寄せ、からがら5本取り出せば、
欠けていたり、短くなったりしていた。
まあいい、まあいいと二人で声をかけて春一番に何度もろうそくの火をかき消されながら
ようよう線香に火種をつける。
私は火が灯ったばかりの線香の赤さが好きなので、いつもほうっと眺めてから線香を立てる。
思いがけなく線香は、子どもの頃の私たち家族の背丈のような工合になった。
二本の立派な線香に、頭一つ分ずつ背丈の違った私たちのような不揃いの三本。
そうだそうだ。私が家族みんなを絵にする時はいつでもこんな風に描いていたっけ。
懐かしさを感じると同時に、いや…と思い直す。
母は今や誰よりも小さくなり、父も還暦を過ぎて何年になろう。
あれからもう、三十年は経っている。
この家族の縮図も今や昔、だ。
ひょろひょろと立ちのぼる煙の向こうの墓石に
今年もまた家族全員の健康を願った。