羊の肖像

インダス文明の印章には、飼いならされたゾウの絵が刻まれているそうである。

今から4000年も前の昔の話だ。

アジアにおいては、ゾウは宗教的な象徴であったと同時に、戦争や物資の輸送、伐採などで利用されてきた歴史をもつ。

アフリカに生息するアフリカゾウやマルミミゾウは、このような用いられ方はしていない(代わりに象牙を目的とした狩猟対象にはなっているようだが)。

アフリカゾウはアジアゾウより一回り大きいのでサイズの問題で利用されてこなかったのだろうかとも思ったが、人の生活圏とゾウの生息地域が重なっているか否かによるところが大きいのかもしれない。

つまり、アジアの山林に住むゾウは、人との距離が物理的に近かったのではないか、と。

 

私がゾウにおいて不思議なのは、なぜゾウたちは家畜動物にならなかったのかということだ。

つまり、単に野生のゾウを飼いならすのではなく、食肉・皮・乳、その他を目的として品種改良が行われてこなかったのは奇妙ではないか?

 

イノシシは豚に、一部の鳥はニワトリに、それから羊やヤギ。

ここ日本では、今や野生の馬は大地を駆けず、野生の牛もおそらくいない。

犬に至っては、能力別にグループ分けされるほどに多様なブリーディングがなされている。

 

家畜動物は、人が交配に介入することで「進化」したと言えるが、

ゾウは難しかったのだろうか。

おそらくは巨大哺乳類らしく、妊娠や成長過程が長いせいもあって思うようにいかなかったのかもしれない。

 

先日の羊毛のワークショップで、私は羊の品種の多さにたまげた。

そして、犬と同じく、いろいろな模様や顔つきを見ては、

このこも可愛いし、そっちのこも可愛いなあとすっかり家に迎える妄想をしている。

 

私たちが関わったのは刈られて1週間足らずの2頭分の羊毛であったが、

1頭は食肉用の品種のため、羊毛は短かった。

一方、もう1頭は食肉用の品種と羊毛用の品種のハーフで、先の1頭より数倍は毛が長く厚かった。

丸一年刈らずにいたのはどちらも同じだというのに、こうも差が出るのかと驚いた。

きっと、羊毛用の品種であればさらに毛量が多いのだろう。

 

品種別の羊図鑑を愛でる気持ちが嵩を増して、

「人に利する家畜とはそういうものだろう」と素直に受け取る自分がいた。

 

私の妄想は進む。

適切な子犬と一緒に育てれば、羊と犬は必ず仲良くなるだろう。

羊の寿命も10~20年だというから、長い間一緒にいられる良き友だちになれるかもしれない。

年に一度の毛刈りは頼める人がいるから任せよう。

そして私はお前を食べずに最期まで見届ける。

家畜ではなく、私の羊には名を与えるんだ。

外でジンギスカンを食べた日の翌朝に、名を与えた私の羊の頭を撫でる。

きっとそういうことだろうなと思った途端、

ここで妄想は止まってしまった。

 

 

羊の肖像