ハッチョウトンボ

初めてハッチョウトンボに出会ってから、早くも1週間が過ぎてしまった。

この1週間は何やら忙しかった。朝起きてすぐに忙しなく必要なメールを返信し、あくせくと車を出庫させブレーキとアクセルを交互に踏みかえ目的地に急ぐ。あるいは電話やオンラインで必要な打ち合わせし、納品課題があったのでそれも済ます。新しい仕事も始まりそうだ。

日常生活に流れる時間は時に私を置いていく。余裕がなくなると感じるたびに、私は日に何度もハッチョウトンボの楽園を思い出した。霧深き、静謐な場所で命をひとつずつつなぐ生物たちがいることに私の心は安らぎ、ふうと息をつく。彼らには何分何秒という刻まれた時間はない。ただ、自分に与えられた目の前の時間をひとつずつ静かに大切に費やすのだ。1センチ足らずのヤゴが自分のからだの中にすべての用意をし、水中から生える細い葉をのぼる。彼らのからだには、この時のために栄養を備えた過去と、やがて飛び立つ未来の時間がつまっている。羽化をする。羽化をしてから間もないだろう、私が見かけたハッチョウトンボはからだも翅の付け根もまだ黄色かった。雄であればやがてあの真っ赤なからだになるのだろう。まだ翅は開いておらず、じっと待つ。霧が深く、水気や湿気が多いこの場所では翅が乾ききるのも通常より時間が必要なのだろうと想像する。けれど、ハッチョウトンボは待つ。辛抱強く、とか、焦らず、といった擬人化された時間軸を彼らは有していない。ただ、自分のからだがやがては出来上がることを自ずと知っていて、ただその時が来るのを与えられた時間とともに生きるだけだ。彼らの目には、赤信号ごときでせかせかとする私の姿が何とも珍妙に見えることだろう。

マルバダケブキの黄色い花が霧の中に漂うように咲いている。足元にはトキソウの群生、虫を誘う花弁の形。ミズゴケを踏めば、じゅわりと水があふれてくる。これほどまでに水を含むコケは見たことがなく面白いと思う。そしてピンク色の突起がついたカエルの手のようなモウセンゴケ。これらがそろう湿原の地で、ハッチョウトンボがいたるところに飛んでいる。ここは水の国。彼らの楽園だ。私の親指の第一関節ほどしかない小さなハッチョウトンボ。きっと今日も生まれ、つがいを見つけ、自分たちの種が生きられる時間を引きのばす。生物たちの当たり前の時間がそこにある。

湿原を歩いていると、赤い三角点のような石杭が埋められた脇に、1メートルほどの棒きれが落ちていた。片方の先端が赤く塗られている。それは、この一帯に計画されているソーラーパネル建設の可不可の境界を示す目印だという。湿原は避けると明言しているようだが、見せていただいた計画図では確かに湿原は避けられていたが、その隙間をうめるように隣接する土壌は四角くみっちりと塗りつぶされていた。思わず、都会の住宅密集地を思い起こすようなありさまである。専門的なことはわからないのだが、これで湿原の生態系に影響が出ないとはまるで考えられなかった。

この棒きれから右は、ハッチョウトンボ他ここに住むすべての生物たちのもの。この棒きれから左は、私たち人間の電力のためにご協力ください。このような道理は人間のために用意された言葉でしかない。ハッチョウトンボは小さいがゆえに風に吹き飛ばされ移動することがあるそうだが、休息地としてふとこの棒きれに停まることはあっても、自分の足元の赤色に気が付いて「おっとここから先は行けないみたいだ」などとは決して思わないだろう。

数年後、ハッチョウトンボのメガネに映る景色が今と変わらないことを望んでやまない。

ハッチョウトンボ