カヌー

なぜ、と言われてもわからぬが、

磐梯山が好きなんだ。

 

それで今年も(と言っても数年ぶりに)湖畔に宿をとり、

犬と数日間ゆったりと過ごしている。今回は曽原湖。

 

SUPに始まり、湖上に味をしめた私の今回の企みはカヌーであった。

カヌー!カヌー!カヌー!

到着前からやらずに帰れるか、と言わんばかりの内的状態である。

 

ところが滞在初日の夜から雪がぱらつき、

翌日もその次の日も北風が強く、波も高かった。

宿のオーナーからも、北風強風注意報がやんわり示され、

強くは言わぬが今回はやめといたら…という気配は言外からも汲み取れた。

もしかしたら明日には、あるいは最終日には晴れるかもしれませんし…。

にもかかわらず、私は我慢できなかった。なぜって、帰路に立つ日だって晴れるとは限らぬではないか。

そういうわけで、

昨日の昼間、私は曽原湖上へ穂の名を連れて漕ぎだしたんだ。

 

言い訳をすれば、船を出した時はちょうど日光が出てきて天気が良くなりそうだったのだ。

しかも、到着してからこっち雲や霧で覆われていた磐梯山が

雪化粧をして現れた。磐梯山。やはりとても美しい。なぜか知らぬが好きなんだ。

今行かないでいつ漕ぎ出す、と私は部屋を飛び出した。

 

穂の名にもライフジャケットを着せたし、私も着ている。

万全である。(そんな気にさせる魔具である)

 

1回目の航行は問題がなかったのだ。

風が強いと言っていたから、ちょっと漕ぎだす程度にしよう。

それですぐに戻って来よう。そういう慎重さがあった。

だが、湖上から見える磐梯山をつい記録に残したくなり、

スマートホンを取りに戻ったんだ。

落としたら災厄である、という自重があったからこそ部屋に置いておいたというのに。

 

2回目の航行は行きの出だしは良かった。それと、

1回目の航行で難なく桟橋に戻れたことも愚かな自信の原因だった。

私は風の恐ろしさを知らな過ぎたのだ。

間抜けなことを言うが、磐梯山と穂の名の写真は満足に撮れた。

だが、パドルを休め、スマホに夢中になっている間に(バッグから出して、撮影し、安全にしまい切るところまで)

風に流され、ずいぶん遠くまで運ばれてしまった。

さて、ここからが大変である。

漕げども漕げども着かないのである。

風に向かってまっすぐに舳先を向けて漕いでいる間はまだいいが

少しでも休むと、あるいは左右で交互に漕ぐバランスをわずかにでも損なわれると

船体がすぐに横を向き、北風を横っ面からまともに受けるのである。

カヌーの側面は広い。あれよあれよ。気まぐれな北風にどこまでもどこまでも押し流されてしまった。

 

北風に煽られた波は高く、しまいに穂の名は不安でぴーぴーと鳴き出し

そわそわと動くことでまた船体が揺れに揺れた。私はいらつき、

そしてパニックになった。

今となってはだが、パニックに陥っているときは

全てが悪手だ。まして、波を読む技術もパドルを器用に操る術ももたぬのに。

さらに言えば、強風の際は少しでも手を休めると目的の岸から遠くなると

この短時間ですっかり刷り込まれていたので

風と対決するようにただただがむしゃらに漕ぎ続けていたのも良くなかった。

体感的には努力しかしていない。が、されど進めず報われず、

けれど休めず、体力だけを消耗する。私の焦りが伝わったのか、穂の名はまたぴーぴーと鳴き、

あたふたと動き回り、私がパドルを右から左、左から右へと動かすたびに

穂の名の頭にパドルが当たる。その大小さまざまな振動で

船はまた不安定に揺れ始め、舳先は向かいたい方向とは真逆を向く。

私は混乱したまま後ろ向きに漕いで懸命に戻ろうとする。

あるいは一つ覚えに、パドルを駆使してブレーキまたは方向転換などを試すが一向に功を奏さない。むしろ逆効果である。

どれくらいの間、高波と風を相手に戦いを挑み続けていたのだろうか。超がつく劣勢だというのに。

きっと遠くから見たら、ただ一点にとどまって

いや、押し戻されても尚無茶苦茶に漕いでいる私の姿が見えただろうなあ。

 

どう足掻いてもダメであったので、結局風に流されるまま東の岸までたどり着いた。

もう、風がやむまで休んでしまおうと思ったのだ。

不安は、風を読むという知恵および経験が私にはないという点であったが。

 

私たちは、湖面に枝垂れかかる條々に引っかかるようにして揺蕩うていた。

すっかり枯葉や流木の気分だ。

この東岸において最も避けるべきは、穂の名だけが岸に降り立ってしまう、ということだった。

穂の名はもうずっと前から岸に戻りたくて仕方がなかった。

目的の桟橋だろうが、東の岸だろうが、小島だろうが、

陸さえあればどこでもいいから今にもおりたいという勢い。

だが、東岸は車道が近く、私だけが湖上に戻れば彷徨い犬になることは必至。

さらにまた、仮に船上の私を追いかけ湖水に飛びこんだとすれば

こいつは泳げないのである。

この妄想は私を神経質にさせ、穂の名の体をぎっちり押さえつけさせた。

その間にも風は私たちに向かって強く吹きつけ、波もますます高くなった。

 

とにかく待とう。そう思った。

ここ曽原湖はスカイツリーより高い標高にある、と宿のオーナーは言っていた。

ということはつまり、「山の天気は変わりやすい」んだ。

私はそう信じ込み、いつかまた、船出に適した時機が来るに違いない

その機会を絶対に逃さぬようにしなければと自分に言い聞かせた。

その瞬間の絶妙たる一分一秒を失わぬことが肝要だ。そう思いついた私は、

衣服や穂の名の毛に絡みついていた條々を乱暴に振り払い、時には折り曲げ、

東岸沿いの比較的障害の少ない地点まで船を移動させたのである。

 

天気はいよいよ悪くなってきた。

対峙する雲はより分厚くなり、風もさらに強くなる。

一気に気温が低くなった。ああ、手袋をしてくればよかった。

ただ悴むばかりではない。水で濡れてパドルを握る手が滑るのである。

ここでパドルを失ってしまったら元も子もない。

穂の名は相変わらずぷるぷる震えているが、

東岸で休まってからこっち私も冷静さを取り戻しつつあったので

同調して先ほどよりは落ち着いてきたようだ。

宿のオーナーに電話をする余裕も出てきた。

風ガ強イノデ東岸デ待チマス、心配シナイデ、ソウソウ、赤イ服ヲ着テ今手ヲ振ッテイルソレデス

 

だが、である。

ああ、まずい。風にのって、雪がちらついてきたではないか。

それに強風、また強風。カヌーがぶかぶかとまた大きく揺れ始める。

いつの間にか、船底には5~10センチほど水が溜まっていた。

風に煽られ、穂の名とふたり不均衡な船上でじたばたしている間に、

湖水もしっかりかき込んでいた。あのときは夢中気が付かなかった。

泳げぬ穂の名を巻き込んでしまってすまないという気持ち。

 

今や、一番恐ろしいのは転覆だった。

溺れることよりも、体が冷えることが恐ろしい。そんな天気になってきた。

待つか。進むか。漕ぎ出すか。

 

どう決断したかは覚えていないが、

私はついに漕ぎ出した。無意識に。

何となく風が弱まった(ように感じられた)こともあるが、

波のはからいでひょいっと最良の方向に舳先が向いたのである。今しかない、と思ったのかもしれない。

あとは、どんなに風が吹きつけようと、舳先を正面から決してずらさぬこと。

 

それからの私は右に左に3回ずつ、下手な操作は一切せずに

ただ規則的にパドルを動かした。ブレーキだの方向転換だのの小手先は私の場合、一切役には立たぬの一心で。

握る手は滑るが関係ない。正面へ進めば良いのだ正面へ。

 

算段も明るく見えていた。(東岸で待機している間に考えた)

当初は桟橋まで一直線で向かうことばかりを考えていたが、

まずは、風に対して舳先をぶらさぬことが第一優先で、

目的地は二の次。ざっくりとだが、桟橋より南側のどこかへ辿り着けばよいのだ。

どうせ北風だ。桟橋を越えたいずれかに向かえば、

あとは北風が味方になって勝手に桟橋近辺まで運んでくれることだろう。

 

私は漕ぎ続けた。と言っても、もしかすると10分も漕いではいないかもしれないが。

いや、もっと漕いだのかしら。

こういうときの時間感覚はわからない。身体感覚の体感しか覚えていない。

 

ようやく。

宿の敷地内である桟橋近くの葦原にたどり着いた。

足場が悪いにもかかわらず、着くや否や穂の名はそそくさと船から脱出する。

逃げるように下船といってもよい。

ここまで来れば安泰である。

私は目の端で穂の名がこちらについてくるのを確かめながら、悠々と北風に流された。

そしてうまい具合に桟橋に着かせると、カヌーから下り、元の岸辺に船体をぐいと引き揚げた。

降り立ってから初めて気が付いたが、私の下半身は肌着もズボンもびっしょりと濡れていた。

すっかり体は冷えていた。部屋に戻って温らなければ。

穂の名にも服を着せてやらないと。

 

今朝方、私は起き出してすぐ昨日の桟橋へと向かった。

大航海での生死を分かつ重要な決断をした気がする東岸は、

湖水で隔てられているとはいえ何のことはない目と鼻の先にあって

何だか拍子抜けした。

 

船上で穂の名にかけた叱責の数々が

私の心に後悔となって残っている。

 

※写真は青空と磐梯山(このあと天気が荒れ始めた)

 

 

 

 

 

カヌー