お彼岸

 

雨上がりの朝の墓参り。濡れた墓石はそのいずれもが光沢を帯び、朝陽を反射し光り、墓地全体が明るい。秋の朝空の澄んだ空気は美味い。

祖父方の墓石に、柄杓で水をかけてやる。雨にさらされ続けた翌朝に、さらにまた水をかけるなど肌寒いのではないか。ふとそんなことも思ったが、ご先祖さんはご先祖さん、石は石。大して気にしないことにした。お線香台に、柄杓からこぼれたしずくが飛ぶ。花崗岩にふれる三粒四粒のその水滴が太陽の色を抱き黄金(こがね)て、美しい。

墓参り。父方の墓に向かい、今日の日の墓参りもまたいつもと同じく挨拶をする。

今、この世の私まで連綿と命をつなげてくれて、ありがとう。
私もまた、生活を守ります。食うこと、寝ること、暮らすこと。その日々をただただ続けます。

お隣の墓には、お供え台の両脇に小さな陶器の花瓶。そこに紫苑と黄苑の花々。中央には簡素な線香立てと湯飲み。湯飲みには雨水があふれ、一匹のとんぼが身体を浸し、息果てている。羽根と頭部、前肢だけを器用に出して浮かぶ姿に湯治を連想する。

同じ足で、母方の墓がある寺にも立ち寄り、同じ挨拶をくり返し結んだ。人の願いは単純で、それでいいのだといつも思える。この墓の地に来れば。

九月十九日