「ま、植物が死ぬのはいつなんだって話なんだけどね~」
という冗談で、ハハハと笑いが起こる。
オオハンゴンソウの始末の話。
穂の名と私のお気に入りの公園内にビオトープをつくるというので
ボランティア隊として参加してきた。
前日までの作業で既に池は掘られており、この日は池に住む生物を採集・記録、
池のふちの地盤固めと安全柵のしつらえなどが主な作業のようであった。
ようであった、というのは、私の作業場はここではなかったからだ。
私は、もう一つの重要な仕事に従事していた。
すなわち、環境省指定の特定外来生物オオハンゴンソウを根絶やしにすることである。
根絶やしとは穏やかでない表現であるが、この植物に関しては
アナロジーで用いているのではない。言葉通り、根っこごと生命のサイクルを断ち切ることをゴールにしている。
オオハンゴンソウはキク科なだけあって、遠目から見ると日本の風景によくなじむ。
が、近づいてみてよく見れば花の柱頭部が盛り上がり、
同科のコスモスなどと見比べると少し異様な様相をしている。
今回の作業ではつぼみをつける前の成長途中のオオハンゴンソウを相手にしたが
だからこそ他の植物との見分けがつきづらく、はじめのうちは慎重にならざるを得なかった。
オオハンゴンソウの葉は、ヨモギの葉にそっくりなのである。
並べてみれば違いは顕著だが、単体での判断は慣れるうちは難しい。
ヨモギの方は葉裏が白く、茎には毛が生えてもしゃもしゃしている。
鼻を近づければ草餅のいい香りもするからそれでわかるとも言われたが、
嗅ぐ場所が良くなかったのかあいにく私にはわかりかねた。
一方、オオハンゴンソウの葉裏はヨモギほど白くなく、印象としては銀色に近い。
外来植物は、強かゆえに増えに増えることが問題となる。
その勢いゆえに、日本固有の在来種が淘汰される。
だが、一植物の生態に目を向ければ、増えられる環境で大いに増えることこそが
彼らの本能であり、遺伝子の使命である。
よって、オオハンゴンソウの存在そのものを罪深きものとは思わぬが、
確かに、この公園内においてでさえ彼らの占める面積を見れば
この勢いは削ぐ必要があると素人の目からも思われる。
幸い、ボランティアの数は十数人に及び、中にはベテランの草刈りの方々も見受けられた。
彼らの仕事ぶりは気持ちよく早く、次から次へ、さっさかと(方言なのか?)オオハンゴンソウを引っ張り抜いた。
さらにまた、植物好きが集うだけあって作業中に交わされる会話が面白く、根っこと対峙し汗をかきつつ耳を澄ます。
話題は、ムシトリナデシコに及んでいる。
オオハンゴンソウほどではないにしろ(オオハンゴンソウは国で指定されている)、
外来種として少しずつ増え始めている越年草だ。
話し手のご近所に住む男性が、せっかくだからと最後の一本に情けをかけた話をしている。
そこで一言。
「なーんで一本だけ、残すのかねえ」で笑いが起こる。
「その一本から増えるんだからぁ」
「でも、人間と同じで、可愛ければやっぱり生き残るのよ~」ふっふっふ
同調の談笑があちこちから聞こえる。ボタニカルジョーク。
はじめは途方もないと思ったオオハンゴンソウの分布面積も
手練れのボランティアを始めとする堅実な仕事ぶりによってようやく終わりが見えてきた。
予想に反して作業は数時間にも及んだが、ここまで時間がかかったわけは、
やはり一本も残さぬことが最重要であるがゆえである。
私たちはただの草刈りではなく、オオハンゴンソウの「駆除」をしているのだ。
だが、ここで問題が残る。
大量に引き抜かれたオオハンゴンソウの草草をどこに置くべきであろうかと。
話を聞けば、特定外来生物であるオオハンゴンソウは、
許可なく搬出・移動させることができないのだそうだ。
運び出すのであれば、絶対に種などを落とさない状態――つまり生命のサイクルが死んだ状態にしなければならない。
「ま、植物が死ぬのはいつなんだって話なんだけどね~」
冒頭の冗談が会話の中に落とされたのはこの話題の最中だったと記憶している。
またも笑いが波紋のように広がったが、すぐに皆う~むと首を傾げてしまった。
根こそぎ引っこ抜かれた植物は死ぬには死んだが、仮に花がついていたらとしたら
そこから種が飛ぶだろう。
駆除は根っこから引き抜くことを第一義であったが、
こちらの力加減や石などの障害物によって、土中に根が残ったままのオオハンゴンソウもあったと思う。
たった数センチの根であっても、それはオオハンゴンソウの命となる。
また、掘り起こした際にあらわになった土の中にオオハンゴンソウの種子があると
土の中に眠っていたそれらの種子が太陽のもとに晒されていち早く元気に発芽するという。
よって、第二世代の彼らをまた根こそぎ掘り返すのだが、その際に土とともに露わになった第三世代の種子がまた成長して…
というのをしばらくの間繰り返すらしい。
完全な駆除が達成されるのは4、5年後というから驚きである。
よって、これら大量のオオハンゴンソウもただ地べたに置いているだけでは、
一度は絶やされた根っこが湿った土と手を結び、再生することになるだろう。
例えば、始めにビニルシートを敷き、その上に置くなどの措置をとるのが最適解であったかもという話になった。土と土にあいだにプラスチックを挟む手法。
今は、とにもかくにもまずは土から離すべきという理由から、暫時的に藪の上や木の枝にかけてあるが
彼ら植物は死んでそこにいるのではなく、まだ生きている。
これから梅雨を迎えれば、空の雨風は干されたオオハンゴンソウに味方するだろう。
あるいは、ビニルシートに並べたその上からさらにビニルシートをかけることで太陽を遮断するという方法はどうかという話も出た。
だが、蒸され枯渇した植物というのもあるいはまだ生きているかもしれない。
エネルギーに満ちた種子や根塊を一つでもこぼせばオオハンゴンソウの勝ちである。
あるいは特大のごみ袋につめるなど…。ただし、すっかり乾燥させた後に(どこで乾燥させるのか、というはじめの問題に戻ってしまった)。
もしくは、やはり消防に届け出て確実に焼く方法など。
考えれば考えるほど、植物を全うに殺しきるのは難しい。
(だからこそ、私たちは植物から恩恵を受けているのだが)
地球を舞台にした生存の物語において、発想が乏しいのは限りなく人間の方だ。
無論、私たちはこの公園の中でさえ、
自然界におけるすべての偶然を支配下におけるわけもなし。