脅迫

家から一番近い神社の境内に穂の名と足を踏み入れた途端、

何やら上空が騒がしい。

見上げると、カラスが真上に一羽、あちらにも一羽。

どうやら番らしく、ああ、今時期はカラスの繁殖期であったと思い出す。

 

とはいえ、うちの穂の名は排泄にこだわりがあるので、

ここの境内を歩かせてもらうよと侵入を断行。

途端にカァ―あカァーあカァ―あとけたたましく警告される。

カラス用翻訳機(カーリンガルとか?)がなくともすぐにわかる。

来ルナヨ、出テケ、コッチノバショダヨ、デテッテヨ。

 

訳知り顔をして、私は「ははぁーーん」と口に出す。

どうやら巣に雛がいるらしい。

自分の巣の場所を悟られないよう、早くからこうしてカァカァカァカァ言っている。

 

とはいえ、私にも用事がある。

公私ともに一旦区切りがついたので、簡単ながら神社にお参りをしたいし、

手入れと放置状態のバランスが絶妙なここの境内の草原は、穂の名のクン活脳トレにぴったりなのだ。

そこで、頭の上に注意を向けつつ参道から逸れて草原の方へ歩き出す。

やはりカラスのうちの一羽――雄だろうか――は杉の高木を飛び移りながら私たちのあとをつけて来た。

いちほは地面のにおいに夢中である。地中にもぐらがいるのか、それとも野良猫なりなんなりが通るのだろう。

なかなか立ち去らない人間の女とでかい赤犬。

雄カラスはしびれをきらして、先ほどよりカァカァカァカァ言っている。

野生の鳥にここまで警戒させてはいけないな、と心のうちではよぅくわかっているのだが。

 

だが、こちらにも事情がある。

今日の短時間の散歩の中でなるべく質のよい楽しい時間を穂の名に過ごさせたいのだ。

よって、さらに数歩、5メートルにも満たない距離を歩き出す。

ビンゴ。

私がその位置でまっすぐ目線を上げた杉の木のあたりにどうやら巣をつくっているらしい。

そうだとわかったのは、一向にその場から離れず、まして私の視線が高木の一点を注視していることに気づいたのか、

私たちをつけていた雄カラスがキツツキのごとく枝をつつき始めたからである。

幹ではなく、自分が留まっている枝のすぐ下のあたりをつついている。

トトトトトッ!

トトトトトッ!

トトトトトッ!

カラスのこのような行動は初めて見たので珍しく、ほうっとしばらく観察してしまった。が、

すぐにこれはカラスの脅迫行為であると思い至る。

「これ以上進むと、嘴でこう(トトトトトッ!)だぜ」

いや、どうだろう。お人よしのカラスであれば、こっちかもしれない。

「どうも聞こえてないみたいだ。枝を打ったら気が付くかしら」

 

トトトトトッ!

トトトトトッ!

トトトトトッ!

直接の攻撃行為はカラス自身にもリスクがあるから、よっぽど追いつめられぬ限りはしたくはないだろう。

でもその一線はどこにあるのか私にはわからぬし、そこまでのストレスをこれ以上は与えたくない。

さすがにここらで引き返した方がよさそうだ。

「穂の名、帰ろう」と呼び寄せる。

意図せずとはいえ、結果的にカラス夫婦に意地悪な人間であったことを詫びながら境内から立ち去った。

 

帰り道、私は懲りずに胸を躍らせていた。

言葉を用いずとも、カラスとある種の相互間コミュニケーションが成立していたことに気が付いて。

それに、カラスは人間の顔を覚えるくらい頭がいいと聞く。

WANTEDの対象かもしれないが、それでもカラスに顔を覚えてもらえたかもしれないなんて嬉しいじゃないか。

 

よいこはまねしないでね、と最後に口添えた方がよさそうな結び。