散文

昨年の私がノートに残した走り書きが、非常に文章的に稚拙で未完成でありながら(特に後半)

何となく気になって捨てられないでいるので

記録としてここに残す。いつかタイムカプセルになって、未来の私に届くやもしれないし。

 

うみやまのあいだ、あめつちのからだ

「時間の後ろに一つの大きな芸術をつくるのです」

 

私にとって、よく生きる とは、うみやまのあいだあめつちのからだ然として

とある一つの自ら選んだ土地に息づいて

その地の営み――現象の一つとして生を終えることです。

ですが私は人間だから ただの生命活動だけでなく 生活の中で手間をかけ、足労をかけ、

時には道をつくるなどの大事(おおごと)をして

その地、その環境に何らかの変化を与えることもあるでしょう。

 

木を植えることや、犬を連れ歩くということも。

さらに言えば、この地で知を耕し、人文を切り拓くこともするでしょう。

無論、私のうみやまのあいだの内だけで。

 

「うみやまのあいだ、あめつちのからだ」とはおしなべて

私(そして私に連なるひと)の生きざまであり

私がこの生を去ったそのあとに、全てが「一つの確かな芸術」として明らかになる。

それはひと一人の所業がただ終わったということに限らず

私とともに生きたその土地が

永久不変のなかのほんの一部の新しい光となって

生きながらえてゆくということだ。

 

 

この地では、犬、人、ケモノ、植物、土、風、ミクロ全てが

ただ「1」として生を全うすることが重要で、

互いが互いに影響し合う

いわば私たちによる一つの壮大な芸術である。