馬屋のSさんを訪れる。
牧場の入り口につながる並木道はユリノキで、ちょうどあの花が咲いていた。
本当にユリノキは、20年かそこらで勝手に背が高くなるだからぁ、んですねえと言いながら
二人でユリノキを見上げる。
市街地の喧噪から離れたここらのユリノキは、どれほどでかくなろうと
迷惑をかけるのは隣のユリノキくらいであるのでぶつ切りにされることなくどこまでものっぽである。
目的は、今度の仕事の打ち合わせであったのに、
代表が到着しても私たちは馬具の話から抜け出すことができない。
Sさんの話が面白すぎるのである。
ほう、と思った話。
今は、かなりつよいボンドもできているから馬具が壊れてもびっちり接着してすぐに直すことができる。
無論それは私のような素人でさえ。
さらにまた、技術の進歩で軽くて丈夫な素材もどんどん増えているし、
3Dプリンターのような機器さえあれば安価で量産することもできる夢の時代。
ところが、「馬具というのは、どこかが必ずもろく弱くつくられている」というのである。
確かに、古い時期の馬具といって見せてくれた現物は
Sさん曰く「ゆぱゆぱ」とした隙間がそこかしこに見受けられる。
さらに、それらの一部を結び合い固定するのは麻を太く依った糸である。
結び方も、縛り過ぎず縛られ過ぎず、指を差し入れると適度にたわむ。
すべて、力を逃がすことを前提に作られていて、
「力の抜けどころ」がこの馬具をむしろ丈夫にするという逆説的発想に思わずうなる。
きっちりかっちりあまりにもぴったり丈夫につくり過ぎると、
馬が転倒すればさいご、馬具によって馬も人も大けがを負うという。
だから、あえて大きな力が加わったときは、馬具が壊れるようにできているのだそうだ。
馬と暮らし、時には人馬一体で戦いに臨んでいたものたちの叡智である。
鞍山の話、アリで穴を通す話。
ユリノキの下、いつ本題に入れるのかは知れないが、遮るには惜しくて
もうしばし、ここで。
ふとっちょと呼ばれるトウフちゃん(馬の名前)と価格高騰のにんじんの山
「ゆぱゆぱ」