戦争と犬

戦争をしている。ウクライナとロシア。

そして、先日2月28日からは、アメリカとイラン。

戦争は、学校の教科書で習うものであると思い込んでいたありがたき平和ボケの人間であったので

(先代の努力によって、平和を享受できた年代とも言える)

もうどうしようもなく悲しくなる。日本も危ういのだろうか。

 

平岩米吉によって編まれた動物文学の中で、思い出した一節があった。

戦時中、柴犬2頭を飼い続けていた男の苦悩にあふれた一節を。

必要があると思われたので、ここに引用する。

 

私達はほんとにいろいろなものを食つた。そして、人間も犬も痩せ細りながら生き抜いてきたのである。「人間さへも、食ふや食わずでゐるのに、犬など飼つている」といふ世間の人の、蔭の、又露はな非難、またさう、非難されるであらうと思ふ心の苛責を、私は、この二つの小さな命をいとほしむ心に引かれて、ぢつと堪えて来た。飛行機の坐席に用ひるとか、飛行服に使ふとかいふので、犬を献納するといふ運動が起つた。否、命令が発せられた。去年の三月の事である。飼料に困つた人たちは、「犬も死所を得た」とか「国のお役に立つのだ」とか、強いて自ら慰めて献納した犬もあらう。(中略)私としては、ひとつは十年以上、今ひとつは五年も飼つた。(飼つたといつても、私の場合は、普通の 犬を飼ふ という観念とは異つて、文字通り起居を共にし犬が私の子供である)その犬が、生皮を剥がれる光景を想像すると、自分の体に加へられる以上の苦痛を感じるのであつた。これは、私の犬に対する感じを知らない人から見ると、実に笑ふべき、また軽蔑すべきことでもあり、私も自分のわがままを恥かしくも思ふのであつたが、どう考えても決心のつき兼ねることであった。

(中略)

私はもう、今居る犬以外に犬を飼ふ気持がない。今ゐる犬が天寿を全うして死ねば、私はもう犬に、おさらばしたいやうな気がする。そしてもし私が子孫のために家訓を書き残すとしたら、「末代まで犬を飼ふべからず」と書き残すであらう。それほど犬を愛することの苦しみは大きかつた。

 

昭和21年発行

『動物文学』第99号

森永義一 「犬のこの頃」