私はこの時を思い出すだろう

私はこの時を思い出すだろう

一段落つくや否や、私は台所のICヒーターに直行した。慌ただしく家をあとにしたままで放置されていた全てのことを、何事もなかったように平静に始めた。DVDリモコンの一時停止ボタンを解除するように、この数時間の喧噪をはさみで切り取ってプラスチックのごみ入れを見もしないで適当に捨てるような変わりなさで「生活」を再生させた。

老犬の飯を準備している夕方時、その犬が突然歩けなくなった。はじめは右後肢に力が入らず引きずるようにしながら母の手元のご飯皿を追いかけていたが、そのうち左後肢もくたりとし始めた。それからは急転直下、自分の異常に不安といらだちを感じて叫びはじめた老犬を抱き上げ、動揺する母をせっつくように車の助手席に乗せ、動物病院に向かった。

運転する私の横で、犬はだぶだぶとよだれをたらし、どう猛さなど知らなかったこれまでの己を忘れ果てて母の掌を噛み続け、離したと思えばつらく叫び、糞尿を垂れ流した。もう既に腰から下は冷たくなり、すっかり麻痺してしまっていた。

医者の診断をうけて、私たちはその足で、これからの介護に必要になるであろう諸々をホームセンターに買いに出た。母は、あなたが買いに行ってくれと言った。私のスカートは今、ブンの糞で汚れているからと。

夕飯の前の穏やかな時間が嘘だったみたいに、怒濤の数時間だった。早速組み立てた介護用のケージの中に、防水マットやトイレシート、タオルを敷き詰め、それからすっかり疲れ切った老犬を寝かせてやった。注射薬が効いているのかもしれない。

怒濤の中の自分の保ち方を私はどこで身につけたのか。
食おう、と思った。

台所に立ち、細かく切ったままにしていた椎茸のいしづきと生姜をフライパンで炒める。目分量で入れたままにしておいたフライパンの上のオリーブオイルだけ、怒濤の時間の唯一の証人のようにもったりと乾いていたが。

木べらでさらさら炒めれば、たちまち椎茸と生姜が香ばしい匂いをたてて私の腹の虫を誘った。私はこの時を思い出すだろう。私は、犬と私たちのこれまでの生活の持続をたぐり寄せ、普通のごとくに続けたかった。それだけのことだと思う。

 

八月十日