鳥が空をわたる速度

11月も末日だ。

まもなく白鳥がカアウ…カァウ…と声を立てながらやって来る。でかい翼で冬空をふるわせて。
あれもうあそこで見かけたよと既にちらほらと聞こえてくるが。

橙が新しいご家族のもとに迎えられてから2ヶ月が経とうとしている。
九州育ちのあの犬は、白鳥など生まれて初めて見るだろう。
元気だろうか、と親しく思い出す。

朝4時半にキャンキャンと起こされて、その勢いで5時には朝の散歩に出かける日課。
が、時には忙しさで小一時間、家の庭に放してやるだけの日も多かった。
早朝に限らず夕方も同様に。
まあ、庭といっても中型犬には十分な広さの雑木林風ドッグランのような体であるから、それなりにご満足はいただける。
(脱走対策として、家の敷地内でも必ずロングリードをつけており、私も常に一緒に過ごしていた)

一頭でもパタパタせわしなく動き回る犬であった。
匂いを嗅ぎまわり、蜂や虻を追いかけ、鳥の形をしたおもちゃをにこにこ振り回し、タッタカ駆け回り。
推定年齢2歳の溌剌としたエネルギーを庭中あちこちに散らしまわる、何とも明るい犬。

ところが何に夢中になっていたとしても、私がしゃがんでいることに気が付くとすぐさま私の懐まで駆け寄って来ておしりをくっつけぴんと胸を張って座る。
前の飼い主に仕込まれたものだろうが、授けられたこの習慣のおかげで誰にでも愛されるいい犬だった。

9月初旬の早朝だったと記憶している。
その朝は、さまざまな鳥たちが際限なく庭を訪れては鳴きかわす、何ともにぎやかな朝だった。
声の違いだけでいえば十種はいたと思う。姿こそはっきり見えなかったが庭中がやにわに彩られたようだった。

橙は、鳥の声や羽根をばたつかせる大小さまざまな羽音が聞こえるや否やびゅんと駆け出し、また別の方向で音がすれば俊敏に躰を反して走り出す。とにもかくにも忙しい。
もちろんロングリードを手にした私も、それにつられてお祭り騒ぎ。あっちへほいほい、そっちへほいほい。

フィナーレは圧巻だった。
朝飯で腹を満たしたカラスたちの大群が庭の上空を渡ってゆくのだ。
それはひとときもたえまなく、ようやく終わったと思えば一羽のみが全音符のように間をもたせ、それからまた第2群、第3群と次々とやってくる。
橙は首が痛むのではと心配するほど始終ずっと空を見上げ、カラスたちの後を追ってスキップしながら駆け回る。

この日から、私たちのリズムは鳥時間になった。
カラスの群れの大移動に一日の標準を定めてすべてのことを片付けるのだ。鳥時間に自ら同調したといっていい。
大移動は朝も夕も6時前後にカァ、カァカァ、と始まった。

が、空飛ぶ黒点たちにも日替わりで何か用事があるのだろう。
日によって遅れたり早まったりといろいろだ。それで、私は橙と庭で待機しながら、
「今日はもうカラスは行っちゃったかな」とか
「今日はまだ来ないな」などと声をかける。

そういうときの橙はしゃがむ私の懐の股の間にちょこなんと座り、いつもきまってニコニコとしていた。
私の顎下すぐにあるまんまる頭。あの感触が懐かしい。

空をわたる鳥たちを朝晩一緒に待ち伏せて、
ようやく一羽がやってきた時には一緒になって喜び、
囀りが聞こえれば猟犬ごっこさながらに同じ方向を向き、
大群がわたって来ればいなくなるまで空を見上げて、夕暮れの藍紫がかった庭を一緒に駆け回った犬。

鳥が空をわたる速度、その時間軸をともに生きた犬、橙。

 

 

 

鳥が空をわたる速度