相棒犬との山散歩。
私は犬より多くのものを拾うと思う。今日は何かの鳥の巣を拾った。
いや、本当は相棒犬の方がもっといろんな匂いを拾う。
彼女をとりまく世界の全てのあれこれから。
↓ 裏側
私が拾った鳥の巣は、私の手の平よりも大きく、
断絶された曲線はもう少し先へのびるだろうことを示していた。
仮にくずれる前の完成形の巣を拾ったとすれば、
間違いなくスズメやマヒワの巣よりは大きいだろうが(このサイズは自分の庭でも毎年拾う)
その正解はわからない。
他にも、1、2つほど類似した巣の欠片が落ちていたが
それがパズルのように合わさった結果同一の巣であるのか、
それともそれぞれ別種の巣であるのかは素人の私にはわからなかった。
それにしても、この巣はよく編まれていて私の心は高鳴った。
いろんな種類の草、茎、種が丁寧に編みこまれ
私は思わず帽子のつばをぐいと上げて空を仰ぐ。
真上から落ちてきたとすれば、どの木からだろうと思ったのである。
衝撃でくずれるくらいだから丈夫な巣とは言い難いが、
一枚のテクスチャとして編まれた素材としては、しなやかで柔らかく優秀だ。
何せ、とにかく密である。
裏表がよくわからないが(外界側と托卵側という意味で)、
一方の面は緑色が残り、もう一面は干し草のような色をしていた。
どういう理由かわからぬが白ごまのような種がいくつも見受けられたのが可愛らしく(雛が食べ損ねたものだろうか)
持って帰って、わが家の庭の日当たりのいいところに置いてみることにする。
もしかしたら、何か知らぬ花が咲くかもしれないし。
とにかく、見ているだけで嬉しいのだ。
かつて、5000年以上も前に生きた人々が布などの平面をつくろう、織ろうと思ったときには
その動機や参考として、これに類似した巣を手に取ったのではなかろうかと思うくらいに。
絶妙な球形の名残、その曲線美に自然の造形が感じられて胸が弾む。
私たちが鉛筆で描く直線がいつもどこかでゆるりとたゆむ、あの親近感がある。
私にとっての自然は、(無限に続く直線およびそれらで構築される構造物。つまり完璧な数式にできるような)を除くものである。